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本田圭佑 10年前

内部抗争で迷走するミラン。名門の救世主は“10番”本田か、変革の旗手・バルバラ嬢か

text by 倉石千種 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography , Kenzaburo Matsuoka

バルバラは何を変えようとしているのか?

 バルバラ氏はその対立が明らかになった時点で、「ガッリアーニ社長を外せとは一度も言っていない。(11月上旬の第11節)フィオレンティーナに敗れた試合の後、何回も(父と)電話で話し、ミランの企業哲学を変えるべきだと言っただけ」と話すにとどめたが、その改革案を見てみれば、現体制に限界を感じているのは明らかだ。

 投資額に見合った結果が残せていない一番の原因は計画性がないことだとバルバラ氏は考えている。同氏はその点を追及するとともに、才能豊かな選手がトッププレーヤーになる前の段階でどのクラブよりも先に見出すための現代的なスカウト網を確立する必要性も訴えている。

 振り返れば、本田が今夏にミラン入りを実現できなかったのにも、イタリア、ロシア両国の国民性や価値観の差異が影響していた。ミランがCSKAモスクワとの契約切れが迫る日本人選手を寸前のところで獲得できなかったのは、欧州市場の“常識”で交渉し続けたことも一因と言える。

 それ以前に獲得を逃したラツィオも同じだったが、相手の要求額に提示額を近づけても、相手側の常識に立って誠意を伝えようとはしなかった。それはミランのブライダ強化部長が「彼らはロシア人だから、僕たちイタリア人や、他のヨーロッパのメンタリティーとは違う。だから難しいんだ」とこぼしていたことでも明らかだ。

 バルバラ氏はこのドメスティックなビジネス感覚にもメスを入れるべく、クラブのスタッフに英語の習得を義務付ける方針も示している。

 ガッリアーニ氏とバルバラ氏の確執は、つまるところ、古き良き伝統を守るか、グローバリズムを意識した新たなクラブへと生まれ変わるかというせめぎあいであり、一時は後戻りができない分裂危機も差し迫っていた。

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