W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。ジュニーニョ・パウリスタの会長として最初、選手として最後の仕事

日韓W杯の優勝メンバーの一人、ジュニーニョ・パウリスタ。彼は現在、イトゥアーノというサンパウロ州一部のクラブの会長を務めている。そして驚くべきことに会長兼選手だったこともあったという。現役最後、そして会長として最初に彼は何を成し遂げたのか。

2013年12月22日(Sun)15時47分配信

シリーズ:W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール
text by 田崎健太 photo Kenta Tazaki
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テレとスコラリに薫陶を受けたジュニーニョ・パウリスタ

 一人の人間を描く際、印象の異なった別の人間を重ね合わせることで、本質をより際立つことがある。

 現ブラジル代表監督、ルイス・フェリッペ・スコラリは手堅く、しっかりと勝利を掴んできた。彼の歴史は華々しい。95年にグレミオ、98年にパルメイラスでリベルタドーレス杯を制覇、ブラジル代表として2002年W杯優勝、ポルトガル代表として2004年ユーロで準優勝――。

 フェリポンの上に重ねるとすれば――。テレ・サンターナ以外には思いつかない。

 テレもまた、サンパウロFCで92年と93年のリベルタドーレス杯で優勝している。しかし、ブラジル代表監督として臨んだ82年と86年大会はいずれも優勝はできなかった。特にジーコ、ソクラテス、ファルカン、セレーゾのいた82年は優勝候補だった。

 テレの目指したサッカーは攻撃的で、芸術サッカーとしてブラジル人から愛された。だからこそ、二大会連続、セレソンを任されることになったのだ。

 この個性の違う二人の監督の薫陶を受けた選手に、ジュニーニョ・パウリスタがいる。

 ジュニーニョが世界中からその名を知られるようになったのは93年だった。テレの率いるサンパウロFCがトヨタカップを制した。途中交代で入ったのが、若きジュニーニョだった。そして円熟期に入った2002年、日本と韓国で共催された大会でフェリポンと共にW杯を獲得した。

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