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2015年の君たちは――。東京ヴェルディユース、花の92年組を追って:第5回 山浦新(慶応大3年)

大学で変わったプレースタイル

2015年の君たちは――。東京ヴェルディユース、花の92年組を追って:第5回 山浦新(慶応大3年)
アスルクラロ沼津・高野光司【写真:海江田哲朗】

 両親にはありのままの気持ちを話した。サッカーでプロの評価を受けられなければ、1年後あらためて就活ということになり、金銭的に余分な負担をかける。山浦の父、正敬は息子の考えを聞き、それを後押しした。

 正敬自身、学生時代はバイクに熱中したクチである。出口が見えかけてきた頃、最後の集大成とすべくアフリカ遠征をぶち上げた。通っていた東大を1年休学し、バイトで資金を貯めつつ、コツコツ計画を練り上げる。HONDAに企画書を提案し、展示撮影用バイクの無償提供を受けたが、輸送費などで約100万円かかる計算だった。

 行き先はアフリカ東部のケニア、タンザニア。赤のXL600Rを駆り、広大なサバンナを土煙を上げて疾走した。現地ではガソリンと冷たいビールの調達に苦労した。行く先々で部族の首長と交渉し、そのすべを体得していった。最後の旅は2ヵ月におよび、その後、正敬は新聞記者の職に就いている。

 血は争えない。そんなふうにもいえるだろう。「結果によっては、周りから1年遅れることになるが、長い目で見ればそんなの問題じゃないよ」という父の言葉は、すとんと腹に落ちるものだった。

 慶応大での3年間を経て、山浦のプレースタイルは変わってきた。東京ヴェルディユースでの印象は、中盤の右サイドでドリブル、パス、クロスを状況に応じて適切に使い分けられるアタッカーである。とりわけ、相手の逆を取る巧さは卓越したものがあった。そのプレーについて、かつてのチームメイトはこのように語っている。

「大学に行って、シンちゃんの偉大さがよくわかりました。おれらは右サイドでコンビを組んでいましたからね。一緒にプレーしていて、あんなにやり易かった選手はいない。自分のことよりも周りを優先し、持ち味を活かしてくれる」(大木)

「シンは本当に巧いですよ。あまり同意を得られないでしょうけど、同い年の宇佐美(貴史・ガンバ大阪)のドリブルと似ているんです。緩急をつけ、タイミングを外してくる仕掛け方はそっくり」(アスルクラロ沼津・高野光司)

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