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連載コラム 10年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。優勝しても批判、セレソンを左右する“フッチボウ・アルチ”の文化

ブラジルには「フッチボウ・アルチ(芸術サッカー)」という文化がある。ただ勝利するだけでは不満で、美しい攻撃が要求される。それを体現したのが70年W杯のセレソンだった。中心選手、カルロス・アルベルト・トーレスを軸にブラジル独自の文化に迫る。

「(優勝した94年W杯は)話にならない」

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。優勝しても批判、セレソンを左右する“フッチボウ・アルチ”の文化
魅惑のサッカーで多くの人を虜にした82年W杯のセレソンだが、優勝はならなかった。中央の10番がジーコ【写真:Getty Images】

 今から20年ほど前――。

 94年W杯・アメリカ大会の直後にジーコに話を聞いたことがある。マリオ・ザガロが監督を務めるブラジル代表は94年大会で70年大会以来の優勝を成し遂げていた。

 セレソンの優勝に話が及ぶとジーコは不機嫌になった。

「ブラジルは結果のため、トーナメントで勝つためのサッカーをした。幸い、セレソンにはロマーリオとベベットという2つの強力な武器があった。危険を冒さず、この2つの武器で点をとること、これがセレソンの戦い方だった」

 そして「中盤の1人、ジーニョは絶対に上がってはならないとザガロから指示されていたらしい」と吐き捨てるように言った。

 サッカー選手としてジーコの経歴は栄光に包まれている。

 かつてはブラジル人の傑出した選手は国外に移籍しなかったため、サンパウロとリオ・デ・ジャネイロ州リーグの水準は世界屈指だった。その中でジーコはフラメンゴの中心選手として州選手権を始め、リベルタドーレス杯まで数々のタイトルを獲得していた。

 しかし、代表では――。

 ジーコが初めてW杯に出場したのは78年のアルゼンチン大会のことだった。この大会は地元のアルゼンチンが勝つために仕組まれていた。ブラジル代表は一度も敗れることなく得失点差で決勝に進むことはできなかった。

 82年大会のブラジル代表はご存じのように、ジーコの他、ソクラテス、ファルカン、セレーゾ――クワトロ・オーメン・ジ・オウロ――中盤に黄金の4人を揃え、優勝候補に挙げられていたが、2次リーグでイタリアに敗戦した。86年大会は準々決勝でフランスにPK戦で屈した。

 負けず嫌いのジーコにとって、W杯で優勝できなかったことは、最大の心残りだった。

「ぼくが支持するのはゴール第一主義のサッカーだ。みながわざわざスタジアムまで足を運ぶのはゴールが見たいからだ。もし近代サッカーというものがゴールを奪われないことを目的としているのならば、糞食らえだ。だからこの間のW杯は話にならない」

 あなたの目指しているのは「フッチボウ・アルチなんだね」と確認するとジーコは当たり前さと頷いた。

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