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戸田和幸が回想する02年W杯。「大会が終わったら死んでもいいと思っていました」

世代別の日本代表も指導したトルシエ監督のもとそのコンセプトを理解した個性豊かな選手たちが自国開催のW杯での躍進という目標で結束されチームは初の決勝トーナメント進出を達成した─―。(『フットボールサミット第21回 遠藤保仁、W杯を語る』より)

text by 原田大輔 photo by Getty Images

改めて聞く、フラット3とは?

――当時のトルシエ監督が目指していたサッカーを教えてください。

戸田和幸が回想する02年W杯。「大会が終わったら死んでもいいと思っていました」
フィリップ・トルシエ監督【写真:Getty Images】

「今で言えば鳥栖、鹿島も近いかな。比較的ダイレクトなサッカーですよね。無駄な手数はかけない。それでいて要所要所に技術があり、戦術眼の高い選手がいるので、いろいろなところに違いを見出せる。

 緩急というよりは、シンプルに早く攻めるサッカーだったように思います。攻守の切り替えが特に早くて、DFラインは下がらない。ということは中盤の僕らも休めないし、前線も常にプレッシャーを掛け続けなければならなかった」

――トルシエ監督といえば、代名詞は『フラット3』ですよね。

「『フラット3』のいいところは、DFの3人が僕らの働きやすい空間を作ってくれるんですよね。ラインが深ければ深いほど、僕ら中盤も前線も間延びしてくるので、そうすると走る距離が長くなるし、相手が快適にプレーできる空間も広くなる。

『フラット3』がオフサイドを取ってくれることで、相手の攻撃もストップするので、それが生命線というのは真実。逆に考えると、『フラット3』が機能するために、僕らは常にボールに対してアタックし続けなければいけない。これを築くのは本当に難しい。選手だけでは絶対にできない。

 だから、徹底という意味では、すごかったですよ。誰であろうと、トルシエ監督は容赦しない。チームとしてもちろんやるべきことがはっきりしていて、それを可能にできる選手たちが揃っていた。

 あとは、監督が変に誰かを特別扱いせず、全員をフェアに見ていたことで競争があったこともよかったですよね。環境という意味においては、僕のキャリアの中でもベストでした」

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