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ドメネク、アンリもその“被害者”。「言葉の暴力」に「虐殺」で応じた仏誌銃撃事件。改めて問われる『表現の自由』の意味

text by 小川由紀子 photo by Getty Images

一部には「言葉の暴力」となっていたシャルリー・エブド誌

『Je suis Charlie』は直訳すると「わたしはシャルリー」という意味だが、「シャルリー・エブド」誌をサポートしています」というより、「自分も、テロに屈することなく、自由を追求する一人です」という意思表明だ。

 ここでいう「自由」とは、表現の自由。

 ASローマを率いるフランス人のルディ・ガルシア監督は、週末のローマ・ダービーの前日会見の際、記者たちが座るイスのひとつひとつに紙と鉛筆を置くことで、彼らに無言で「自由であること」を喚起するメッセージを伝えたというが、今回シャルリー・エブド誌がターゲットになったのは、彼らが再三、イスラム教の預言者ムハンマドを冒涜するようなイラストを掲載していたことへの報復だったとされている。

 シャルリー・エブド誌は、これまでも元大統領のミッテランを侮辱するなど各方面の人々を刺激して、脅しにあったことも一度や二度ではない。いわば、挑発的なイラストは彼らのアイデンティティであり、そのために廃刊の危機に追い込まれたこともあった。

 今回射殺された編集長はそういった脅しに臆することなく、自身が貫きたい路線を守って、際どいイラストを掲載し続けてきたわけだが、それらがどんなものかは、『Charlie Hebdo』画像で検索すると、いくつか見ることができる。

 現仏大統領のオランドやムハンマドが下半身丸出しの姿でコミカルに描かれているものも多く、彼らのその「表現の自由」は、一部の対象者にとっては、「言葉の暴力」でもあったことがうかがえる。

 よって、「表現の自由」の名の下に、彼らの行為が全面的に支持されることについては疑問視する声も多い(※編注:捕鯨問題や福島の原発事故などで日本が風刺の対象になったこともある)。

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