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震災、原発事故から4年。日本代表シェフ西氏とめぐる、Jヴィレッジ・福島・復興の今

text by 後藤勝 photo by Masaru Goto , Naoki Hiromoto

福島~東京。200kmの距離が関心を薄れさせる

 過酷事故にもかかわらず広野町がいまこうして生活できる状態にあるのは、事故発生当時の風向きも含め、いくつかの幸運にもよる。たとえば免震棟。福島第一と第二原発には免震棟があり、そこで所員が対応策を練り、指示を出すことができていた。2004年の新潟県中越地震を受けて免震棟を建てていなければ、どうなっていたかわからない。

 次に事故が起きたらどうなるのか。帰町している西氏ではあるが、遠方に避難している人々の気持ちも理解している。

「ぼくは沖縄に避難しているひとも正しいと思います。ここは炉心棒があのまま(むき出しになっている)で、これから取り出さないといけない、何かあったらまた逃げなくてはいけないたいへんな状況。再びああいう思いをしなくてはいけないと考えたときには、そこから逃げ出すのもひとつの手ですからね。それはいいことだと思いますよ」

 しかしこのまま福島が忘れ去られていいのだろうか。西氏さえも「東京にいると、福島のことが関係なくなってしまうんですね。ぼく個人も。関係なく生きていけるし……」と言うほど、200kmの距離は関心を薄れさせる。

 福島、あるいは福島第一原発の周辺は、東京以西の日本人にとっては「たぶんまだ放射性物質がたくさんある」「現状はよくわからないが危険なのだろう」という曖昧な印象にとどまっているのではないか。

 福島産の食品が安全か否かも、多くは印象論で語られているのではないか。リスクを多く見積もり食べないというひともいるだろうし、東日本産の食べものをいっさい口にしないというひともいるだろう。しかし福島で採れるもののすべてが口にできないのかと言えば、そうではない。

 たとえば英国のウィリアム王子やサッカー日本代表選手にも福島の食材を使った料理が供されているが、そのような人々に何事かあれば、土下座するくらいでは済まないだろう。プロの料理人が賓客に対して細心の注意を払っていない、などという事態は考えられない。福島で採れる農産物にも「食べてもよい」ものはあるはずだ。

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