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【3分で分かる】“迷走”ミランの今季流れ。本田、ミハイロビッチ監督の苦悩の経緯

text by Keiske Horie photo by Getty Images

ミラン
迷走を続けるミラン【写真:Getty Images】

 日本代表FW本田圭佑が所属するミランが12日、シニシャ・ミハイロビッチ監督の解任を発表した。後任は下部組織の指揮官を務めるクリスティアン・ブロッキ監督が昇格する。ブロッキ監督は2014年にマッシミリアーノ・アッレグリ監督を解任してから実に5人目の指揮官だ。迷走するミランに今季なにが起こったのか。その経緯を振り返る。(文:Keiske Horie)

2015年6月

フィリッポ・インザーギ監督を成績不振を理由に解任。シーズンを通して4-3-3の布陣を採用。

2015年7月

2014/2015シーズンにサンプドリアにヨーロッパリーグ出場権をもたらしたシニシャ・ミハイロビッチ監督の就任を発表。その後、ミハイロビッチ監督が「4-3-1-2」の採用を宣言。サンプドリアでは4-3-3と4-2-3-1を採用していたため、シルビオ・ベルルスコーニ会長の意向ではないかとの噂が報じられる。

2015年8月

布陣が4-3-1-2となったことで出場機会を失ったステファン・エル・シャーラウィをモナコに買取オプション付きレンタルで放出。一方で、ビー・テチャウボン氏による株式増資手付金の資本を元に大型補強を敢行。FWカルロス・バッカ、ミハイロビッチ監督の愛弟子DFアレッシオ・ロマニョーリ、MFアンドレア・ベルトラッチを獲得。

2015年8月~2015年10月

シーズンが開幕。フィオレンティーナ戦(0-2)、インテル戦(0-1)、ジェノア戦(0-1)、ナポリ戦(0-4)で敗北し、3勝4敗で11位に沈む。本田はトップ下で出場するもインパクトを残せず。

2015年10月~2015年12月

ミハイロビッチ監督が布陣を4-3-1-2から4-3-3に変更。3勝2分1敗(敗:ユベントス戦)で7位に浮上。また、指揮官が17歳のGKジャンルイジ・ドンナルンマを守護神に大抜擢する。本田は右ウイングのスタメン争いでアレッシオ・チェルチに敗れ、出場機会が激減。

2015年12月~2016年2月

ミハイロビッチ監督が布陣を4-4-2に変更。7勝6分1敗(敗:ボローニャ戦)で6位に浮上。本田は右サイドハーフで不動の地位を確立。2月14日のジェノア戦では豪快なミドルシュートを決める

2016年1月

布陣が4-4-2となったことで出場機会が減少したアレッシオ・チェルチをジェノアに、成長が必要なスソをレンタルで同じくジェノアに放出。代わりにシャルケでクラブと衝突しフリーの身となっていたケビン=プリンス・ボアテングを獲得

開幕前に獲得したルイス・アドリアーノを中国・江蘇蘇寧へ移籍金1400万ユーロ(約18億円)で放出。中国に渡りメディカルチェックも済ませるも、給与面の合意がつかずに移籍が破談。その後、ミラノに帰国後、脚を負傷し15日間の離脱。

モナコで思うような活躍を収められなかったエル・シャーラウィがイタリア復帰。ローマに買取オプション付きレンタルで放出する。その後、同選手は10試合で6ゴール2アシストと完全復活を遂げる。

2016年3月

4-4-2システムの中核を担っていたFWエムバイェ・ニアンが交通事故で今季終了の負傷離脱に。代役のL・アドリアーノも負傷で欠き、ジェレミー・メネズとマリオ・バロテッリを起用するも低パフォーマンスに終わる。サッスオーロ戦(0-2)に敗れ、キエーヴォ戦(0-0)、ラツィオ戦(2-2)でも引き分ける。

日本代表戦で本田が負傷。長く実戦から遠ざかっていたボアテングのコンディションが戻らず、右サイドハーフの代役が不在に。サイドバックを本職とするDFマッティア・デ・シリオを右サイドハーフに起用し4-4-2を維持するも、アタランタに1-2で敗れる

かねてよりミハイロビッチ監督のスタイルを好まなかったベルルスコーニ会長が同指揮官の解任を希望。18歳のMFマヌエル・ロカテッリを初めとする若手イタリア人選手の抜擢を望み、下部組織のクリスティアン・ブロッキ監督の就任を推す。

2016年4月

本田がユベントスとの大一番で負傷から復帰。アレックスのゴールで先制するも、マリオ・マンジュキッチ、ポール・ポグバのゴールで逆転負け。フロントはミハイロビッチ監督の解任を決断する

当初の報道通りブロッキ監督がトップチーム指揮官に昇格。布陣はベルルスコーニ名誉会長の希望と一致する4-3-1-2を採用するとみられている。本田は先発予想に入っておらず、出場機会の低下が予想されている

(文:Keiske Horie)

【了】

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