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F・トーレスが誓うアトレティコへの忠誠。“エル・ニーニョ”とロヒブランコ、純愛の物語【前編】

text by アルベルト・ロメロ・バルベーロ photo by Getty Images

暗闇の中で現れた“エル・ニーニョ”

アトレティコ復帰会見時のフェルナンド・トーレス(中央)
アトレティコ復帰会見時のフェルナンド・トーレス(中央)【写真:Getty Images】

 シメオネが彼を主力として扱うのか。起用法は1トップ、または4-4-2でマンジュキッチかアントワーヌ・グリーズマンとコンビを組ませるのか。そういった議論は、さして重要ではない。それはフットボールから感動という要素を削ぐこと、この大衆スポーツを味気なくすることと同義である。

 トーレス帰還は映画であれば感動のフィナーレであり、続編で彼の活躍が描かれ、ヒットするならばまた良しだ。いずれにしろ、たとえ続編がコケたとしても、それが汚点になることは絶対にない。それは絶対に、確実に、である。

 アトレティコにおけるトーレスという存在について、理解することは容易ではないだろう。シメオネの手腕によって、欧州有数の存在にまで成り上がった現チームに焦点を当てれば、なおさらだ。

 しかし、現在というものはどうしたって過去と地続きにあり、トーレスがプロデビューを果たした当時のアトレティコを切り捨てることなど不可能である。あの頃のアトレティコは、100年以上の歴史の中でも、最も混沌とした時期を過ごしていた。

 ヒル・マリンの父親である前会長の故ヘスス・ヒルが横領、公文書偽造などの罪で刑務所送りとなり、法廷管財人のルイス・マヌエル・ルビに経営が任されたことによって、クラブは2部へと降格し、財政的にも大きな打撃を受けた。そのような状況の中でピッチに降り立ち、暗闇の中で期待を一身に背負ったのが、エル・ニーニョだったのだ。

 彼はファンの期待に必死に応えようとし、その誠実なる姿勢が現在のような状況を生み出した。だからこそ彼の帰還という報は涙を誘うものとなり、だからこそ4万5000もの人々がカルデロンへと導かれたのだった。

(文:アルベルト・ロメロ・バルベーロ/翻訳:江間慎一郎)

【後編に続く】

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