岡田Jが進めた“脱オシム路線”。ポゼッション+プレッシング。無理のない“日本化”【西部の4-4-2戦術アナライズ】

2016年10月05日(Wed)10時19分配信

シリーズ:西部の4-4-2戦術アナライズ
text by 西部謙司 photo Getty Images
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陣形は変化なく、人選を変更

岡田ジャパン時代にコーチを務めた大木武氏
岡田ジャパン時代にコーチを務めた大木武氏(写真は京都時代のもの)【写真:Getty Images】

 日本選手の機敏さやパスワークの良さを生かすという意味では「日本化」ともいえるが、「オシムサッカーの継承」とは何の関係もない。ある意味、岡田監督の最初の日本化は「大木化」だった。しかし、ワールドカップ3次予選のバーレーン戦に敗れると、岡田監督は「俺のやり方でやる」と、俺流宣言をする。そもそも日本化を言い出したオシム監督がやっていたのもオシム化にほかならず、大木化を経て岡田化が始まったわけだ。

 岡田監督は4-2-3-1を基本フォーメーションとした。オシム前監督も4-4-2か4-2-3-1が多かったので、フォーメーションの変化はないが人選は代えている。攻撃的MFとして起用されていた遠藤保仁をボランチへ下げ、長谷部誠と組ませた。このコンビは次のザッケローニ監督の時代にも引き継がれることになる。4バックのセンターは中澤佑二と田中マルクス闘莉王、こちらも岡田監督時代の鉄板コンビとなった。

 攻撃の中心は右サイドハーフの中村俊輔である。オシム監督時には右の中村、左の遠藤(あるいは右に中村でトップ下に遠藤)だったが、遠藤がポジションを下げたことで斜めの関係になった。中村がサイドから中央に移動してパスを受け、そこからSBのオーバーラップを使ったり、一気に逆サイドへ振って局面を変えるなど、中村のアイデアが攻撃を動かしていた。

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