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ランパードが「プレミア史上最高のMF」たる所以。ジェラードとの対照性、指導者への未来図【東本貢司の眼識】

シリーズ:東本貢司の眼識 text by 東本貢司 photo by Getty Images

フットボールの家系に生まれた“直系のプリンス”

ランパード
ウェスト・ハム時代のランパード【写真:Getty Images】

 ウェスト・ハムのファーストチームに上がって2年目のフルシーズン。その開幕戦、ランパードは途中交代で出場していきなり決勝ゴールをマークしている。同シーズンには自身初のハットトリックも記録。翌1998/99シーズンには全試合フル出場で早くもハマーズの“メインマン”として躍動、ウェスト・ハムをプレミア最高位の5位に導いた。

 ところが、皮肉にもその大活躍したシーズンが、“ハマーズのプリンス”があろうことかチェルシーに移籍する“大事件”の前振りとなってしまう。

 翌シーズン、ウェスト・ハムが一転、大不振の末にランキング15位で終了。7年間指揮をとった監督ハリー・レドナップの解任に伴い、その右腕でランパードの実父フランク・シニアもクラブを去ることに。

 事実上、ランパードのかけがえのない庇護者コンビだった二人の退団には、ウェスト・ハム上層部の「心無い対応」があったとも言われ、かつ、「フランク・ランパードの息子」というレッテルにつきまとわれてきた「鬱陶しいプレッシャー」に、ランパード自身がうんざりしていたともいわれる。

 チェルシー移籍がランパードの才能とキャリアを大きく飛躍させたことについては、それまで叔父と父の存在と“直系のプリンス”として甘やかされてきた環境への“反動”によるものとする物言いもあったようだが、事実はまったく違っていたと評価すべきなのだ。そうでなければ、突然、当時はまだ珍しかった異邦の大物ひしめく“亜空間”に飛び込んで比類のない数々のレコードを残せたはずがない。

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