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横浜FMの前身、日産自動車サッカー部の誕生秘話。一本の電話から始まった名門の軌跡【岡野俊一郎さん追悼コラム】

text by 藤江直人 photo by Football Channel, Getty Images

加茂監督就任にまつわる後日談。3時間も聞かされた愚痴

 加茂のもとでは、すでに現役を退いていた鈴木がコーチに就任してプロの指導を学んでいく。もっとも、これにはちょっとした後日談がある。

 話は古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)、日立製作所(現柏レイソル)、三菱重工(現浦和レッズ)、東洋工業蹴球部(現サンフレッチェ広島)をはじめとする「オリジナル8」が集い、Jリーグの前身となる日本サッカーリーグが産声をあげた1965年度にさかのぼる。

 関西から参戦したヤンマーディーゼルには、長沼や平木の母校でもある関西学院大学から入社したばかりの加茂がいた。岡野さんは懐かしそうに振り返ったものだ。

「ヤンマーディーゼルの産みの親である山岡浩二郎さんにお願いして、加茂を採ってもらったんだ。その加茂を日産自動車がプロ監督として迎え入れた。選手の前に指導者のプロが日本サッカー界に生まれたわけだけど、そうしたら山岡さんが怒っちゃってね。平木に頼まれて大阪までいって、山岡さんの愚痴を3時間も聞かされて。本当に参っちゃったよ」

 ヤンマーディーゼルとしては、実質的なプロの指導者としての道を歩ませていた加茂に、ゆくゆくは指揮を執らせたいと考えていたのかもしれない。果たして、加茂のもとで急成長を遂げた日産自動車は関東社会人リーグの壁を突破して、1977年度に日本リーグ2部に昇格する。

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