横浜FMの前身、日産自動車サッカー部の誕生秘話。一本の電話から始まった名門の軌跡【岡野俊一郎さん追悼コラム】

2017年02月08日(Wed)11時08分配信

text by 藤江直人 photo Football Channel, Getty Images
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ノウハウがない日産自動車に選手を紹介

 しかし、サッカーに関するノウハウがない日産自動車としては、創部へ向けてどのように動いていいかがわからない。人事部長も課長も、サッカー界にはいっさいつてをもっていなかった。相談をもちかけられた岡野さんは、こんなアドバイスを送ったと明かしている。

「ある程度のレベルをもつ選手で、大卒かつ人柄のいい選手を採用しなさいと言ったんだ。新しくできるサッカー部の中心になれるし、人柄がよければ周囲の社員から『この人たちがやっているサッカー部ならば応援しよう』という雰囲気を出せるからね」

 先方も得心できた様子だった。ただ、大卒で人柄がよく、肝心のサッカーも上手い選手がすぐに思い浮かぶはずがない。「どなたかいらっしゃいますか」と聞かれた岡野さんは、ユース代表監督時代の教え子で、浦和市立高校(現さいたま市立浦和高校)から立教大学へ進んでいた鈴木保を紹介する。

「ちょうど鈴木保が立教を卒業する年だったかな。『彼を推薦するので、ぜひ採用してください』とお願いして、日産自動車で採ってもらったんだ」

 後に日本女子代表監督として、チームを2度の女子世界選手権(現女子ワールドカップ)と1996年のアトランタ五輪出場に導く鈴木が入社したのは1970年度。鶴見工場の同好会という形でスタートしたサッカー部は、1972年度に参戦した神奈川県リーグ2部から本格的なスタートを切る。

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