フットボールチャンネル

ゴン中山、プロ入り前は「CBでも使われた」。ストライカー転身の逸話を告白

text by 編集部 photo by SkyperfecTV

中山雅史
ストライカー転身のエピソードを語った中山雅史【写真提供:スカパー!】

 日本サッカーの水準向上を目的に、北海道コンサドーレ札幌の野々村芳和社長と豪華ゲストが語り尽くす『スカパー!』の人気番組「Jリーグ ラボ」。その収録現場を、フットボールチャンネル編集部が潜入取材した。

 3月12日の放送回は、今シーズンからJ3に昇格したアスルクラロ沼津に所属する元日本代表FW中山雅史がゲストに登場する。収録開始と同時に、得意のトークで野々村社長を圧倒する“ゴン中山”。熱く語る様子は、さながらジュビロ磐田での全盛期のようだ。

 日本代表史上ワールドカップ初得点を1998年フランス大会で決めた中山といえば、生粋の“ストライカー”というイメージを持つファンがほとんどだろう。しかし、49歳の中山は生まれながらのストライカーではなかった。

 番組内で少年時代を振り返り、「ヘディングが強かったから、センターバックでも使われた」と意外なエピソードを告白。当時はFWへのこだわりが強かったわけではなく、「プレーができるならどこのポジションでもよかった」という。

 藤枝東高校卒業後は、筑波大学に進学。ガンバ大阪の率いる長谷川健太監督は2つ上の先輩にあたる。当時は長谷川監督からスパルタ的な指導を受けていたというが、「理不尽だったけど、良い経験になった」と笑顔を見せた。

 また、大学では“アジアの壁”の異名を持つ現アビスパ福岡監督の井原正巳とセンターバックのレギュラーを争っていたという。

「最初の青白戦(紅白戦のこと。筑波大学ではこう呼ぶ)ではオレが選ばれたけど、その次は彼がずっと選ばれてた」と、ライバル心をむき出しにしていたことを明かした。

 ストライカーとしてプレーするきっかけとなったのは、チームにFWが不在になったことが大きく関係しているようだ。先輩・長谷川からの厳命で、「お前がやれって言われたからやるしかなかった」と話す。

「プレーができるならどこのポジションでもよい」というプレーへの貪欲さが、“ストライカー・中山雅史”を誕生させたのかもしれない。

 収録後の取材で、中山より1つ年上の三浦知良(横浜FC)が50歳の誕生日にJ2開幕戦出場を果たしたことに触れ、「日々の練習をやり切れていることが凄いのであって、試合に出ることも凄いんですけど、それを続けられることが凄いなと。50歳になってみんなやってみればいいんですよ!」と、“ゴン節”でキングカズを称賛した。

【了】

KANZENからのお知らせ

scroll top