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Jリーグ 7年前

横浜F一筋の男に突き付けられたクラブ消滅。元代表・前田治が報道前夜に受けた電話【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images

かつては野球少年。小学生時代はリトルリーグでもプレー

 生まれは福岡です。ただ父親の転勤で、幼稚園と小学校6年までが東京、中学の3年間が福岡、そして高校から帝京に進学することになって、それからはずっとこっちです。

 サッカーを始めたのは小学校4年から。それまでは調布のリトルリーグで野球をやっていて、1コ上には荒木大輔さんがいました。なにぶん野球全盛時代でしたから、「将来は巨人に入って、王選手みたいにホームランを打ちたい」というのが夢でしたね。

 1年くらい野球とサッカーを掛け持ちしていたんですけど、小学6年からはサッカー一筋です。福岡の中学では、サッカー部は弱かったんですけど、みんなで頑張ったら県大会に初めて出場して、僕自身も九州選抜に選ばれました。

 その時、キャプテンだったのが、のちに帝京で一緒になる平岡(和徳=元大津高校サッカー部監督)。3年の高校選手権決勝で、僕のゴールをアシストしてくれたのも彼でした。

 決勝の相手は清水東。長谷川健太、大榎克己、堀池巧の三羽烏がいて、1年には武田(修宏)もいました。帝京は前年の準決勝で敗れているので、ずっと「打倒、清水東」で1年間頑張ってきたんですよ。

 決勝点のシーンは、よく覚えています。僕は相手の密着マークを受けていて、いったんボールから離れるような動きをしたところに、平岡がドリブルで仕掛けていい感じでクロスを上げてくれたんです。それをショートバウンドで右足ダイレクト。野球をやっていたせいか、ボールの落下点に合わせて打つのは当時から得意でしたね。

 大学は当時(関東大学リーグ)2部だった東海大です。1年で得点王になって、2年の時に2部で優勝しました。入れ替え戦でも勝って、僕も2年連続で得点王。3年の時には1部でも優勝して、今度は得点王とアシスト王の2冠を達成できました。1、2年は2部でしたが、大学時代は4年連続で得点王とベストレブンになることができましたね。

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