合併発表前日に三浦淳宏から電話。実感なかった山口素弘【フリューゲルスの悲劇:20年目の「真実」】

2018年03月22日(Thu)10時20分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Getty Images,Tetsuichi Utsunomiya
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「面白いサッカーをやるから、来たかったら来いや」

 出身は群馬の高崎市です。サッカーを始めたのは小学4年からです。実は野球もやっていたんですよ。特にバッティングは好きでしたが、自分の出番が回ってくるまではベンチに座っていなければならないし、打席に立つと監督の指示で打てたり打てなかったりする。そこが子供心に違和感を覚えましたね。サッカーって全然、違うじゃないですか。ボールがどんどん動いていく中、自分で判断しながらプレーできるでしょ? そっちのほうが楽しいと感じるようになりましたね。

 高校は前橋育英。今年の選手権で初優勝しましたが、やっぱりOBとして感慨深かったです。これまでも何度か決勝に進出していたし、何人もJリーガーや日本代表を輩出していたので「いつかは」と思っていました。試合会場に「強く激しく美しく」という横断幕が見えましたけど、僕らの時代からありました。

 山田(耕介)先生の指導は、その頃からまったくブレていない。先生は個性を伸ばすタイプの指導者で、選手のアイデアを尊重してくれました。その代り、私生活の面でだらしないとすごく怒られましたね。3年の時の選手権で、選手宣誓をしたのもいい思い出です(苦笑)。

 高校時代のポジションは、昔で言う「司令塔」。本当にお山の大将でしたね。ただ、僕の時代はまだ「前育ってどこよ?」という感じでしたから、選手権に出たと言っても無名の存在でした。大学に進学する時も、最初は筑波大を希望していたんですが、1つ上が井原(正巳)さんとか中山(雅史)さんとか、ユース代表や日の丸候補の人たちばかりだったんですよ。

 僕みたいな肩書のない選手は「お呼びでない」って感じでした。結局、東海大に進学しました。決め手になったのは「厳しさ」。チャラチャラした緩い感じではなく、厳しい環境で指導してほしいというのが(選んだ理由に)ありました。

 僕は高校でも大学でも、脚光を浴びるような選手ではなかったんです。それもあって進路を選ぶときは、伸びていくチームであるとか、面白い指導者がいるとか、そういうところを自然と重視するようになりましたね。全日空を選んだのも、加茂さんがいたのが大きかったです。

 実は、いくつかのチームからお誘いをいただきました。焼き肉とかご馳走になりながら「ウチに来たら中心選手だよ」みたいな感じで(笑)。その中で、加茂さんは「ウチは読売(クラブ)と日産(自動車)を倒すくらい面白いサッカーをやるから、来たかったら来いや」って、それだけでしたね。でも僕には、それが決め手になりました。

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