“最強FW”の相棒、ミリク。覆した長身=不器用の概念。ポーランドの最凶コンビが牙をむく【W杯 日本を襲う猛獣たち】

2018年06月11日(Mon)11時20分配信

シリーズ:W杯 日本を襲う猛獣たち
text by 神尾光臣 photo Getty Images
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レバンドフスキを上回る代表デビュー

 ポーランドでは、少年期から将来を嘱望される存在として注目を受けた。出身地のシロンスク県ティヒから15kmほど離れたカトヴィツェをホームとするロズヴォイ・カドヴィツェの下部組織でサッカーを始め、16歳の時に3部を戦うトップチームの試合でデビューを果たした。

 この時に彼はトッテナム・ホットスパーやレディングFCに誘われセレクションにも参加している。その時にはイギリスに渡らず、ポーランドに残る決断をするのだが、するとポーランド1部リーグのエクストラクラサを闘うグールニク・ザブジェから誘いを受けた。

 するとミリクは、1年半の間に大活躍を果たす。11/12シーズンの開幕節シロンスク・ヴロツワフ戦に先発するや1アシストを記録。そのシーズンを24試合出場4得点で終えると、2年目にブレイク。開幕節ピアスト・グリヴィツェ戦のゴールを皮切りに、第14節までの14試合に出場し7ゴールを挙げた。

 その間、ミリクはポーランド代表にも飛び級に次ぐ飛び級で名を連ねている。U-17代表に呼ばれ初出場を果たしたのが、17歳1ヶ月で迎えた2011年4月13日の試合だ。そこから1年半足らずの間にU-18, U-19, U-21と急速にステップアップを果たし、とうとう2012年10月にはフル代表にも招集され、12日の南アフリカ戦でデビューを果たしてしまった。

 その時ミリクの年齢は、18歳7ヶ月14日。レバンドフスキの代表デビューが20歳20日だから、いかに早熟であったかが分かる。

 それだけの才能にバイエル・レバークーゼンが惚れ込み、2013年1月に260万ユーロの移籍金で獲得を果たした。もっともそこからしばらくやや停滞。半年で出場は6試合合計51分にとどまり、翌シーズンにはアウクスブルクにレンタルされるも18試合出場で2ゴール。14-15シーズンには、エールディビジのアヤックスへレンタル移籍をすることになった。

 そこからミリクはゴールの味を覚えて、2シーズンで47ゴールもの成績を挙げる。歴史的に優秀なストライカーを輩出してきたアヤックスだが、所属した最初の2シーズンでこれだけの数字を挙げたFWは少ない。

 ミリクの合計ゴール数を上回ったのは50ゴールを挙げたルイス・スアレスだけ、パトリック・クライファートやズラタン・イブラヒモビッチもそれだけの数字は挙げていなかったのだ。彼を指導していたのは、アシスタントコーチのデニス・ベルカンプ。「あの左足は神にキスされたもの」だとまで絶賛し、能力を鍛え上げていた。

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