自分たちのサッカーを多様化
1998年フランスワールドカップ、クロアチアは3位になっている。独立後では初出場だったが、ダボール・シュケル、ロベルト・プロシネツキ、アサノビッチなど名手が揃っていた。ただ、あのときのクロアチアは自分たちのスタイルでゴリ押ししなかった。持ち前の攻撃力とテクニックに溺れることなく、堅実な守備とカウンターで勝ち上がっている。
そのきっかけになったのが、実は2試合目の日本戦だった。当日の気温はあまりに暑く、クロアチアは日本の機動力に振り回されていた。シュケルへのロングパス一発の省エネ戦術で臨んだが、縦横に走り回る日本に圧倒されてしまった。後半にコンパクトに守ってカウンターの距離を縮めることで活路を拓いた。苦しみながら得た勝利の中から、彼らの戦い方を見つけることができた。
今回のクロアチアも相手を見てサッカーをする。相対的な関係の中で、最適なプレーをチームとして選択する隙のない戦い方ができる。右も左もできるペリシッチのように、自分のスタイル、自分たちのサッカーを多様化させたところに進歩があった。
(文:西部謙司)
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