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世界最高のMFモドリッチの知られざる幼少時代。爆弾が降り注ぐなかでも追い続けたボール

text by ビセンテ・アスピタルテ photo by Getty Images

かつてサッカー選手だった父親との絆

 その一方で、ルカ・モドリッチのフットボールに傾ける愛情の防塁となったのは、間違いなく父スティペ・モドリッチだった。彼はNKポセダリエ、NKオブロヴァッツにまずまずの選手として在籍し、ゼムニクの仕事仲間ともプレーに興じていた。

 親子の共通点はきちんと生かされることになる。スティペは我が子がホテルでボールと戯れるだけでなく、しっかりとフットボールに打ち込むことを望み、ルカはそれを快諾した。そしてフットボールを子供たちの気晴らし、彼らに自信を与えるものとして扱うトミスラフ・バシッチの考えが、スティペの願いを受け止めた。

 つまりはあの暮らすことの難しかった町が、山生まれの少年と革のボールの物語をより強固なものとして、両者は二度と離れられなくなったのだった。

 学生としてのルカは、その道徳的価値観の素晴らしさは常に際立っていたが、成績はまずまずで傑出していたわけではなかった。母は勉学に興味を持たせようと、ホテルに本を持ち運んだものの、その試みは失敗に終わっている。事実、モドリッチは後年にこう明かしている。

「フットボールの選手になっていなかったら、ウェイターになっていたはずだ。だけど神のおかげで、僕はフットボールを選択した」

 この言葉は、ルカのカトリック信仰も表しているが、彼は食事を前に毎回十字を切っている。いつも十分にあったわけではなかった食べ物に対して、感謝をするためである。

 彼の人生の始まりにおいて、余りあるほどあったのはボールへの執着だった。ただ、それも最初は薔薇色の道ではなかった。困難であったのは、置かれていた状況だけではない。例えば、彼が初めて着用したすね当ては木製で、父親の手づくりだった。

 クロアチアのアイドルが、その事実を自ら明かしたことはない。しかしトミスラフ・バシッチがそれを認め、彼はその二つのすね当てを大事に保管していた。ザダール下部組織でプレーしていた、輝かしき少年の成功を確信していたためである。

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