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塩谷司、30歳。代表初得点はアジアカップの殊勲弾。広島で開花し中東で磨かれた異質の力

text by 編集部 photo by Getty Images

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塩谷司【写真:Getty Images】

【日本 2-1 ウズベキスタン AFCアジアカップ2019・グループリーグF組第3節】

 日本代表は17日、AFCアジアカップ2019・グループリーグF組第3節でウズベキスタン代表と対戦し、2-1と逆転勝利を収めた。

 勝負を決めたのは塩谷司の一振りだった。1-1で迎えた58分、こぼれ球に反応した背番号18が左足を一閃。鋭いシュートがネットを突き刺し、スコアが動いた。このゴールが決勝点となり、日本は首位での決勝トーナメント進出を決めた。

 追加招集ながら森保一監督の起用に応えた塩谷は、1988年12月5日生まれの30歳。徳島商業高校時代には全国高校サッカー選手権大会にも出場し、卒業後は国士舘大学に進学。同大のコーチだった柱谷哲二氏によって中盤からセンターバックにコンバートされると、能力が開花した。

 2011年、水戸ホーリーホックの監督となった柱谷氏に誘われ同クラブに入団。ルーキーイヤーから出場機会を獲得。翌年の夏にはサンフレッチェ広島へとステップアップを果たしている。加入当初は定位置争いに苦しんだが、2013年には最終ラインの一角として不可欠な存在に成長した。2014年から3年連続でJリーグベストイレブンを受賞するなど、国内屈指のディフェンダーとして知られるようになった。

 14年には日本代表に初招集され、ジャマイカ代表との親善試合でA代表デビューを果たす。続くブラジル代表戦ではネイマールらと対峙し、“世界”を目の当たりにした。2015年のアジアカップメンバーにも選ばれたが出場機会はなかった。翌年にはオーバーエイジの一人としてリオ・デ・ジャネイロ五輪に出場。主力として戦ったが、満足のいく結果は得られずグループリーグ敗退。失意のまま大会を去ることとなった。

 転機は2017年。6月にUAEの強豪、アル・アインへの移籍を決めた。多くのサッカー選手は海外というとヨーロッパを目指す。世界最高峰でしのぎを削ることが成長に繋がり、日本代表の中心選手はほとんどヨーロッパでプレーしている。

 しかし、塩谷は中東のクラブを新天地に選んだ。ヨーロッパに比べれば劣るかもしれないが、日本とは異なる環境で自分を高めるという点では同じだろう。勝手の違う国でポジションを獲得し、主にサイドバックとして活躍。昨年末のクラブワールドカップに出場すると、決勝ではレアル・マドリーから一矢報いるゴールを挙げている。

 ヨーロッパでプレーしている選手でさえ、マドリーと対戦できる機会などそう多くはない。ましてや得点を奪う選手はもっと少ない。塩谷はそんな世界最高レベルのチームを相手に得点した。彼の異国での奮闘を印象づけるものだった。

 そして今回のアジアカップでは、追加招集ながら約3年ぶりに代表復帰。ウズベキスタン戦では対人の強さや攻撃力で成長した姿を見せ、勝利に大きく貢献した。

 センターバック、サイドバック、ボランチと様々なポジションでプレー可能な点は魅力。決勝トーナメントも厳しい戦いが予想され、決勝までは残り4試合ある。怪我人や出場停止の選手も出てくるかもしれない。そうした状況に陥った時、塩谷は重要なピースとして活躍してくれるのではないか。もちろん、スタートからピッチに立っても問題なく戦えることはこの日で証明済みだ。

 前節からスタメン10人を入れ替えて臨んだウズベキスタン戦。最大の収穫は塩谷のパフォーマンスだったと言えるだろう。

【了】

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