レアル・マドリーにモウリーニョという劇薬がもたらした勝利と副作用。打倒バルセロナの結末【レアルの20年史(4)】

世界のフットボールシーンは、この約20年で大きく変わったと言える。ボスマン判決により欧州での選手の契約と移籍のあり方が変わり、今では100億円を超える契約解除金(移籍金)も珍しくはなくなった。その間、名門クラブはどのような変遷をたどったのか。レアル・マドリーの現代史を複数回に渡って取り上げる。(文:西部謙司)

2019年10月29日(Tue)10時50分配信

シリーズ:レアルの20年史
text by 西部謙司 photo Getty Images
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第二次ペレス時代の始まり

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レアル・マドリーを当時率いていたジョゼ・モウリーニョ【写真:Getty Images】

 2009年6月に会長に返り咲いたフロレンティーノ・ペレスは、さっそく大型補強を行っている。クリスティアーノ・ロナウドとカカを迎えた。カカについてはレアル・マドリーではやや不遇だったが、ロナウドは9シーズンに渡ってクラブの顔となり、エースとして大活躍することになる。カリム・ベンゼマ、シャビ・アロンソもこのシーズンの加入なので、未曾有の大補強を敢行したといえる。

 率いたのはマヌエル・ペジェグリーニ監督。チリ人だがアルゼンチンで名をあげ、スペインではビジャレアルを率いてCLベスト4などチームを躍進させていた。4-4-2をベースにショートパスをつなぐ攻撃、システマティックな守備、攻守両面で手腕を発揮できる指導者である。ペジェグリーニはクラブ史上最多の96ポイントを勝ちとったのだが、リーグ優勝はできなかった。上には上がいるもので、優勝したバルセロナは黄金時代のまっただ中だったのだ。

 コパデルレイは早々に敗退、CLもベスト16。結果的に無冠に終わり、ペジェグリーニは解任されてしまった。

 ペジェグリーニ監督のレアルは、普通なら優勝できる勝ち点を稼ぎ、プレー内容も良かったのだが、それでも無冠ならこのクラブでは続けられない。

2010年夏、モウリーニョが監督に就任

 10/11シーズン、ペジェグリーニの後任として新監督に就いたのはジョゼ・モウリーニョだった。FCポルト、チェルシー、インテルで大成功を収めた名監督である。ただ、モウリーニョには称賛と同じぐらい批判もつきまとっていた。あれだけ勝てば称賛だけが高まり、いつしか批判は小さくなっていくものだが、モウリーニョの場合、称賛と批判は同時に膨らんでいく。

 内と外の評価が極端に違っていた。率いた選手、スタッフ、サポーターには善人だが、外へ向ける顔は違っている。味方以外はすべて敵であり、敵に対して容赦がない。傲慢で粗野、挑発し、皮肉や侮辱も日常茶飯事。外に敵を作って内を結束させるのは古典的な方法とはいえ、モウリーニョの「口撃」を受けて無傷でいられる敵はいなかった。味方には頼もしいが、敵には蛇蝎のごとく嫌われる。むしろ嫌われたい。口喧嘩は罵詈雑言でも攻撃し続けたほうが勝つことになっているので、捨て身のモウリーニョに勝てる者はまずいないのだ。

 勝利至上主義という点で、モウリーニョはレアル・マドリーにぴったりの監督だった。半面、そのアクの強さはブランド・イメージを重視するクラブカラーには水と油でもあった。

 ライバルのバルセロナとの最初の対戦は0-5の大敗。世界が注目したクラシコでの“マニータ”に、モウリーニョ監督は腹を括ったのではないかと思う。つまり、バルサに勝つためには手段を選んでいる場合ではないと。

クワトロ・クラシコ、すべて異なる戦略

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2011年4月16日、ラ・リーガ第32節のエル・クラシコの試合前に握手を交わすペップ・グアルディオラ(左)とジョゼ・モウリーニョ(右)【写真:Getty Images】

 このシーズン、レアルとバルサは5回も対戦している。リーグ戦のホーム&アウェイにCLでの2試合、そしてコパデルレイ決勝。とくにリーグ、コパ、CLと立て続けに行われた2試合は「クワトロ・クラシコ」と呼ばれた。レアルにとっては無敵の王者バルセロナへのチャレンジ・シリーズである。

 クワトロ・クラシコで、レアルは4試合を別々の方法でプレーした。

 最初のリーグ戦ホームゲームでは、CBのペペをアンカーに起用する4-1-4-1でバイタルエリアのスペースを消してドロー。ただ、この時点でバルサは首位を独走していてどちらにも大勢に影響のない試合だった。モウリーニョはまだ手の内をさらしていない。

 次のコパデルレイ決勝では、ペペのポジションをさらにインサイドハーフに上げ、リオネル・メッシの始動エリアにぶつけてきた。ボールの奪いどころを敵ゴールに近づけた作戦は当たり、前半はレアルのペースだった。後半にバルサが盛り返したが、延長でのロナウドのゴールで1-0と勝利する。無冠に終わるわけにはいかないモウリーニョ監督にとって、狙っていたのはコパデルレイだったのかもしれない。

 CLの2試合、まずホームで0-0を狙った。すでにコパデルレイで手の内はさらしてしまったのでハイプレスではなく慎重に引いて守った。しかし、頼みの綱のペペが退場となり試合も大荒れ、モウリーニョも退席。0-2で敗れた後、モウリーニョ監督は判定への不満をぶちまけ、いつもの陰謀論を展開した。

 アウェイでの第2戦は初めてレアルらしい攻撃的なプレーをしたが1-1。バルサが決勝へ進んでいる。4連戦の結果は1勝2分1敗、このときのバルサが例外的なチームであることはレアルのファンも理解していたのか、できるかぎりの抵抗を認めたのか、それほど批判は大きくなっていない。

 ただ、名誉会長のアルフレード・ディ・ステファノは「アリと象の試合だ」と切り捨てた。さすがに身内からの批判なので、モウリーニョは「監督は私」と切り返すにとどまっている。

取り戻したプライドとモウリーニョの副作用

 11/12シーズン、レアルはぶっちぎりでリーグを制する。クラブ史上最多タイの公式戦15連勝、リーグ最多の121得点、100ポイントを勝ちとった。

 モウリーニョ監督とともに2年目のメスト・エジル、サミ・ケディラ、リカルド・カルバーリョが実力を発揮し、ロナウドは驚異的なペースで得点を量産した。戦術的にはエジルのトップ下がフィットし、ロナウドとのコンビネーションが冴え渡った。エジルはモウリーニョ監督のチームに欠かせない「10番」になっていた。FCポルト時代はデコ、チェルシーのフランク・ランパード、インテルではヴェスレイ・スナイデルを重用していたように、チームの頭脳を必要とする監督だった。

 モウリーニョは守備的な監督だと思われていたが、FCポルト時代からとくに守備的な試合ばかりしていたわけではない。GK、CB、ボランチ、プレーメーカー、ストライカーの縦軸に実力者を配し、戦術的にはオーソドックスなタイプである。直近の試合へ必勝態勢を固めるのに秀でていた。チームに作りに即効性があり早く結果を出す。ただ、3年目が鬼門だった。

 レアルでもリーグ優勝を逃し、CLはベスト4、コパデルレイも準優勝に終わった。シーズン最初のスーペルコパには勝っているので無冠ではないが、主力選手との間に軋轢も生まれ、3年目に解任された。

 バルセロナという巨大なライバルに挑み続けた3シーズン、レアルは勝利によってプライドを取り戻した。しかし、勝利だけでは満足しないクラブなのだ。モウリーニョはレアルにとって副作用の強い薬のようなもので、効果がなくなるとその毒気ゆえに吐き出されることになった。

(文:西部謙司)

【了】

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