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欧州サッカーの頂点を極めたオランダトリオ。「最高にして最強」と呼ばれた伝説の軌跡

今なおサッカー史に燦然と輝く88年のオランダ代表。ヨーロッパ選手権を制すると、主力だったマルコ・ファンバステンとフランク・ライカールト、そしてルート・グーリットはその後も欧州を席巻する。最強といわれたオランダトリオの軌跡を振り返る。(文:粕谷秀樹)[sponsored content]

text by 粕谷秀樹 photo by Getty Images

クライフ以後の低迷期にあらわれた3人の若手

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【写真:Getty Images】

 1974年、オランダはかのヨハン・クライフ(故人)によって世界に導かれた。惜しくも準優勝に終わった西ドイツ(現ドイツ)ワールドカップでは、全員攻撃・全員守備のいわゆるトータルフットボールを披露。いまでは珍しくなくなった前線からのチェイス、ボールハントも、46年前のオランダが発端といって差し支えない。

 2年後のヨーロッパ選手権を3位で終えると、クライフは代表から引退。それでも1978年のアルゼンチン・ワールドカップは準優勝だ。世界の頂点に立てなかったとはいえ、オランダはワールドクラスの強豪として名声を確立し、近代フットボールに多大な影響を及ぼすことになった。

 しかし、80年のヨーロッパ選手権はグループリーグで敗退すると、同大会もワールドカップも予選すら突破できなくなっていた。クライフと同世代の選手たちが衰え、彼らに取って代わる若手も台頭してこない。低迷期が長く続く、と思われていたのだが……。

 タレントは枯渇していなかった。知名度こそ低かったものの、80年代中期から3人の若者がビッグクラブのレーダーにかかりはじめていた。アヤックスのマルコ・ファンバステンとフランク・ライカールト、そしてPSVのルート・グーリットである。のちに〈オランダ・トライアングル〉と呼ばれ、世界を席巻した男たちだ。

歴史に残るファンバステンの芸術的ゴール

 ファンバステンはなにをやらせても美しかった。右足で、左足で、ヘディングでゴールを決めるときも、すべてが芸術的だった。ドリブルはスキーのスラロームを見ているようであり、浮き球をトラップする姿はバレリーナ。しかも判断力と運動能力も兼ね備えていたのだから、彼をマークするDFにすればたまったものではない。

 ライカールトは〈パーフェクトなMF〉といわれていた。的確な判断と豊富な運動量で攻守をリンクし、一対一にも非常に強い。負傷などで最終ラインが手薄になった際は、センターバックとしても高度の適応力を披露した。

 3人のなかで、最も強烈な個性を発散したのがグーリットである。フットボールのスキルだけではなく、走力、ジャンプ力ともに超異次元。一言居士ゆえに監督、選手と衝突するケースも少なくなかったが、この男のカリスマ性はサポーターを惹きつけ、対戦相手に恐怖心を植えつけるほどだった。

 こうした力が結集したのだから、オランダが88年のヨーロッパ選手権を制したのは至極当然ともいえる。グループリーグを2勝1敗で通過し、準決勝では開催国の西ドイツを2-1で撃破。さらに決勝でもソ連(現ロシア)を2-0で下し、初のメジャータイトルを獲得している。

 さて、この一戦はファンバステンのゴールが記憶に新しい。ソ連ゴール前とはいえ、シュートの角度はほとんどない。プレーの選択肢はボールキープ。しかし、彼は迷うことなく右足でシュート。GKリナト・ダサエフの左上を抜いた。

「本能的としかいいようがない。練習で百発撃っても一回も決まらないだろうね」。引退後、ファンバステン自身でさえ説明ができないほど強烈、かつアーティスティックな一撃は、32年が過ぎたいまも語り草である。

 なお、88年ヨーロッパ選手権優勝により、オランダ・トライアングルの名は日本でも急速に知れ渡り、専門誌はこぞって特集記事を組むようになっていった。

レアルも脱帽。欧州を席巻したオランダ・トライアングル

 オランダ・トライアングルは、88-89シーズンにACミランで再会する。ファンバステンはアヤックスから、グーリットはPSVから87年夏に移籍し、彼らに遅れること一年、ライカールトはアヤックス→レアル・サラゴサというルートをたどった後、北イタリアへやって来た。

 その年、ミランはラツィオとのデッドヒートの末セリエAを制した。また、チャンピオンズリーグでは他クラブと次元の違うパフォーマンスを見せ、当時のレアル・マドリーで絶対的な人気を誇っていたエミリオ・ブトラゲーニョが、こう嘆くほどだった。

「ミランのように強いヤツらと対戦したことは一度もない。我々では、いや、ミランに勝てるチームなんか地球上には存在しない。とくにオランダの3人は……。彼らの攻略法があるのなら、いますぐにでも教えてほしい」

 準決勝でミランと対戦したマドリーは、2試合合計1-6の大敗。ブトラゲーニョが屈辱に耐えながらも、オランダ・トライアングルの凄さに脱帽したのは無理もない。為す術なく敗れた以上、抗弁するよりも敵の力を素直に称える。これが超一流のプライドだ。

 マドリーを6-1で葬ったミランは、決勝でもステアウアア・ブカレストを4-0で退けている。フリットとファンバステンが2ゴールずつ挙げ、ライカールトは素早く、鋭いチェックでピンチの芽を未然に摘み取っていた。

 最強にして最高──。当時のミランはフットボールの頂点に立っていた。そして、その中心では常にオランダ・トライアングルが輝いていた。

(文:粕谷秀樹)

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