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J1 2か月前

なぜダメだった…。プロで消えた元ユース出身の超天才10人。もっと活躍できたはずの男たち【Part2】

 若くして評価され、「天才」と称される選手たちがいる。しかし彼らがそのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみ、コンディションを落としていく者もいる。今回はJリーグクラブの育成組織で期待を集めながらも、才能を発揮しきれなかった選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照。対象はユース出身者のみ

MF:千島徹(ちしま・とおる)

千島徹
【写真:Getty Images】

生年月日:1981年5月11日
下部組織:浦和レッズユース出身
主な在籍クラブ:浦和レッズ、愛媛FC

 千島徹は、浦和レッズの育成組織で育った攻撃的MFで、クラブ史上初めて、ユースからトップチームへ昇格を果たした。

 しかし、浦和では6年半を過ごしたものの、リーグ戦の出場は11試合にとどまった。

 U-16からU-22まで世代別日本代表としてもプレーした千島は、2000年に浦和のトップチームに昇格したが、プロ1年目にJ2で出番は得られなかった。

 2002年にJ1デビューを飾ると、2003年にはナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)のFC東京戦で初得点を記録。このシーズンはJ1でも8試合に出場し、少しずつ出場機会を増やしていた。

 しかし、当時の浦和レッズは、長谷部誠やロブソン・ポンテといった実力者を擁し、チーム力を高めていた時期であり、千島は翌2004年からは再び出場機会が減少する。

 2006シーズン途中に、当時JFLからJ2に昇格したばかりの愛媛FCに移籍した。

 愛媛移籍後の千島は、キャリアで初めてコンスタントな出場機会を得たが、2007年5月に左ひざ前十字靭帯を損傷し、長期離脱を余儀なくされ、シーズンの大半を欠場。

 その後も復調には至らず、2009シーズン終了後にプロの舞台から退いた。

 浦和時代の千島は、プレー機会こそ限られていたものの、ユースから昇格した選手として注目を集め、ファンの印象に強く残った。

 170cmと小柄ながら、自分より大きな選手に臆することなく果敢に仕掛けるドリブルや、奇抜なヘアスタイル、ユニフォームの襟を立てるスタイルを記憶しているファンも多いだろう。

 現代であれば、千島は期限付き移籍を活用し、成長の機会を得ることができたかもしれない。

 しかし、育成組織の有望株であったがゆえに、適切な成長のステップを踏む機会を得られなかったようにも映る。

 千島は現役引退後、故郷の埼玉県川越市で「川越Future FC」というクラブを立ち上げ、社会人リーグで戦っている。

 同クラブはユースやジュニアユースの育成にも力を入れており、千島はその代表を務めている。

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