
サンフレッチェ広島の佐々木翔【写真:Getty Images】
AFCチャンピオンズリーグ・エリート(ACLE)リーグステージ第6節で、サンフレッチェ広島は上海申花を1-0で下し、年内最後の試合を白星で締めくくった。36歳となった今も衰えを見せない“鉄人”佐々木翔は、この日も存在感を発揮した。試合後、今シーズン限りで退任するミヒャエル・スキッベ監督との4年間へ思いを馳せている。(取材・文:藤江直人)[1/2ページ]
——————————
「よう頑張りました、ということで…」
無失点での勝利に貢献したサンフレッチェ広島の佐々木翔【写真:Getty Images】
年内最後の一戦で、サンフレッチェ広島の選手でただ一人、大台を超えた。
ホームの広島サッカースタジアムに上海申花(中国)を迎えた、10日のAFCチャンピオンズリーグ・エリート(ACLE)のリーグステージ第6節。78分に荒木隼人が頭で決めたゴールを守り切り、大会3勝目とEASTの12チーム中で3位に浮上した瞬間に、キャプテンの佐々木翔の長いシーズンも終わりを告げた。
JリーグYBCルヴァンカップ(ルヴァン杯)を3シーズンぶりに制し、上位争いを続けたJ1リーグ戦では4位でフィニッシュ。天皇杯JFA第105回全日本サッカー選手権大会でもベスト4に進んだ広島は、アジアの戦いなどを含めて、今年だけで61もの公式戦を戦い、そのうち佐々木は57試合でピッチに立ってきた。
出場試合数では最多となる中野就斗の58試合の後塵を拝し、37歳の塩谷司と並んでいる。しかし、プレータイムでは上海申花戦の後半に5000分の大台を突破。フル出場を果たした瞬間に5042分に達した。
「本当に長かったですね。よう頑張りました、ということでお願いします」
10月に36歳になった表情に充実感を漂わせながら、佐々木が茶目っ気たっぷりに続けた。
フル稼働を続けた佐々木翔「プレータイムを調べて記事に…」

今シーズン、フル稼働を続けたサンフレッチェ広島の佐々木翔【写真:Getty Images】
「2番目はシオくん(塩谷)だと思っていました。就斗(中野)が58試合? あいつがもうちょっと休んでくれればよかったんですけど、じゃあ(自分の)プレータイムを調べて記事に書いてくださいね」
塩谷も、守護神の大迫敬介も、そして11日のJリーグアウォーズでベストイレブンを初受賞した荒木と田中聡も、そして上海申花戦を欠場した中野も2025年の総プレータイムは5000分に達していない。
佐々木の5042分は、フル出場した場合の5520分の実に91.3%に達する。3バックの左で文字通りフル稼働してきた軌跡は、広島を率いるミヒャエル・スキッベ監督から寄せられてきた厚い信頼の証でもある。
そして、上海申花戦は2022シーズンから指揮を執る、ドイツ出身の60歳の指揮官が臨む広島でのラストマッチだった。クラブ側との双方合意のもと、今シーズン限りでの退任が11月26日に発表されていた。
「終わりましたね」
ドイツ代表ヘッドコーチやギリシャ代表監督、ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントやレバークーゼン、アイントラハト・フランクフルトなどブンデスリーガの指揮官を歴任。今後はヴィッセル神戸の新監督就任が報じられているスキッベ体制の終幕に短く言及した佐々木は、さらにこう続けている。
「本当に引っ張りダコのような監督と…」
今シーズン限りで退任するミヒャエル・スキッべ監督【写真:Getty Images】
「もちろんいつかは終わりが来るものなので、そこは僕たちもしっかりと受け入れなきゃいけない。ただ、(メディアの)みなさんが書く記事のなかに、いろいろなものがあるじゃないですか。
本当に引っ張りダコのような監督と僕らはお別れをして、新たな道を進んでいく。チームが下した決断に対して選手たちもしっかりと覚悟を持って、さらに上を目指していかなきゃいけないので」
神奈川県座間市で生まれ育った佐々木は横浜F・マリノスの下部組織、同県立城山高校、神奈川大学をへて2012シーズンにヴァンフォーレ甲府へ加入。2015シーズンに完全移籍で広島の一員になった。
右膝前十字靭帯断裂の大怪我から2018シーズンに復活し、広島で欠かせない存在となっていた佐々木のキャリアは、スキッベ監督が就任した2022シーズン以降でさらにまばゆい輝きを放っている。
たとえばリーグ戦では、今シーズンまでの4年間で臨んだ144試合のうち139試合に出場。プレータイムの合計1万2327分はフルタイム出場した場合の95.1%となり、それまでは2018シーズンの一度だけだったJリーグ優秀選手賞を4年連続で受賞。昨シーズンは初めてベストイレブンにも選出された。
「タイトルをしっかりと2つ獲得できたのもありますし、それはもう素晴らしい日々でしたよね」
スキッベ監督の就任初年を含めた2度のルヴァン杯制覇を「一番の思い出です」と位置づけた佐々木は、誰が監督でも「常にチームがよくなるためにプレーしてきました」と前置きしながらこう続けた。