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柿谷曜一朗は「敵として本当に厄介」。セレッソ大阪の「8番の重みや誇りを僕以上に持っている」と言わしめた天才FWの価値【コラム】

シリーズ:コラム text by 元川悦子 photo by Etsuko Motokawa

柿谷曜一朗
引退試合に臨んだ柿谷曜一朗【写真:元川悦子】



 12月14日、柿谷曜一朗氏の引退試合「THE LEGEND DERBY YOICHIRO KAKITANI ーLAST MAGICー」がヨドコウ桜スタジアムで行われ、ともにプレーしてきた多くの仲間と、2万人を超える観衆が集結。試合は終始、勝負にこだわる緊張感に包まれた。久しぶりのピッチで魅せた柿谷の一挙手一投足が、そのキャリアの積み重ねを静かに物語っている。(取材・文:元川悦子)[2/2ページ]
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「今までの日本人FWが持っていなかったものを…」レジェンドたちが語る柿谷曜一朗の才能

サッカー日本代表、柿谷曜一朗

サッカー日本代表でともにプレーした柿谷曜一朗と本田圭佑【写真:Getty Images】

「曜一朗は敵として本当に厄介。テクニックもあって、アイディアも豊富で、素晴らしい選手。代表でやっていた時は頭がすごくいいんで頼りになりました」と遠藤が言えば、

 本田も「(2013年に)初めて代表に入ってきた時に『今までの日本人FWが持っていなかったものを持ち合わせた選手』だと強烈なインパクトを受けました」と語気を強める。

 遠藤と本田が柿谷とともに挑んだ2014年ブラジルワールドカップは惨敗に終わり、柿谷自身も活躍は叶わなかったが、本田は「あの経験が曜一朗にとっていいものになればいいと思うし、それはすでに今に表れている。必要な敗戦だったのかなと思っています」と前向きにコメントした。



 確かにあの挫折があったからこそ、19年間の現役生活、そして引退後の成功があるのは確かだろう。

 ヤンチャだった若き日を知る大久保嘉人も「高校生の時から俺の悪いところばっかり吸収して、移籍させられて、苦しい思いをメチャクチャしたと思う(苦笑)。

 でも8番をつけてあれだけ長くやれたのは、曜一朗の持ってるものがよかったから。本当に素晴らしいサッカー人生だったなと思います」と発言をしていたが、柿谷は本当に多くの仲間に愛されたのだ。

 本人もそういった選手たちや関係者、家族の支えに涙ながらに感謝した。

「僕はサッカーを教えることの前に…」

柿谷曜一朗
引退試合に臨んだ柿谷曜一朗【写真:元川悦子】

「これからもサッカーに携わっていくと思いますけど、僕はサッカーを教えることの前に、今の子供たちが外に出て運動したり、ボールに触る機会を積極的に作っていきたい」と柿谷は今後の抱負を口にしたが、彼が重視するのはつねに次世代を担う子供たちだ。

 自身に3人の子供がいることも大きいのだろうが、彼らにサッカーの楽しさ、セレッソの8番の偉大さ、素晴らしさを伝え、引き継いでいってもらえるように活動を続けていくつもりだ。



「今日見に来てくれた子供たちも香川真司の8番、ガンバの宇佐美貴史の7番を取りにいってほしい。大阪ダービーで活躍してから海外に行っても遅くない」とも本人は語ったが、この日の彼はセレッソの8番の価値を十分に体現していた。

 柿谷曜一朗という天才の一挙手一投足を我々は今一度、脳裏に刻み付けておくべきだろう。

(取材・文:元川悦子)

【著者プロフィール:元川悦子】
1967年、長野県生まれ。94年からサッカー取材に携わり、ワールドカップは94年アメリカ大会から2022年カタール大会まで8回連続で現地に赴いた。「足で稼ぐ取材」がモットーで、日本代表は練習からコンスタントに追っている。著書に『U-22』(小学館)、『黄金世代』(スキージャーナル)、「いじらない育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(NHK出版)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)などがある。

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【了】
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