FIFAワールドカップ(W杯)のメンバー発表会見では、毎回のようにドラマが起きる。サプライズ選出がある一方で、選出確実と思われていた選手が外れる、サプライズ落選の例も多い。その中でもとくに衝撃的だったのは誰なのか。今回は、サッカー日本代表の歴史の中で、まさかのW杯メンバー外を経験した選手を5人紹介する。[2/5ページ]
FW:久保竜彦(くぼ・たつひこ)
生年月日:1976年6月18日
落選した大会:2006 FIFAワールドカップ
当時の所属クラブ:横浜F・マリノス
「もしもあの時に〇〇がいれば」。サッカー界に数多ある“if”の中に「もしもドイツW杯の時に久保竜彦がいれば」という仮定も存在するだろう。
破壊力抜群の左足と日本人離れしたフィジカルを持った男は、望まれながらも2006 FIFAワールドカップのメンバーから落選。持病の腰痛が悪化しなければ、“ドラゴン”はドイツの地で世界のサッカーファンをあっと言わせたかもしれない。
久保が代表初キャップを飾ったのはフィリップ・トルシエ監督がチームを率いていた1998年10月だが、エース級の活躍を見せたのはジーコジャパン時代だ。
左足から繰り出されるシュートには凄まじい威力があり、跳躍力やスピードはまさに規格外。野生児の如き自由奔放なプレースタイルは対峙するディフェンダーにとって予測を効かせにくいものだった。
ブラジル代表で10番を背負ったジーコ監督が「久保と言うストライカーに注目してほしい」と世界に発信するほど、久保の持つポテンシャルは無限大だった。
しかし、時間を経るごとに悪化した腰痛はプレーに支障をきたすほど深刻なものであり、結局ジーコ監督は久保をドイツに連れていくことを諦めなければならなかった。
「もしもドイツW杯の時に久保竜彦がいれば」。ジーコジャパンが本大会でグループステージ敗退の憂き目に遭っただけに、この“if”はどうしても考えずにはいられない。
答えのない問いが首をもたげるのは、天井知らずの才能を持っていた久保がロマンに溢れた存在だったからである。

