FIFAワールドカップ(W杯)のメンバー発表会見では、毎回のようにドラマが起きる。サプライズ選出がある一方で、選出確実と思われていた選手が外れる、サプライズ落選の例も多い。その中でもとくに衝撃的だったのは誰なのか。今回は、サッカー日本代表の歴史の中で、まさかのW杯メンバー外を経験した選手を5人紹介する。[4/5ページ]
MF:中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)
生年月日:1978年6月24日
落選した大会:2002 FIFAワールドカップ
当時の所属クラブ:横浜F・マリノス
日本サッカーの歴史を作ったレフティーは?と聞かれれば「中村俊輔」と答える人は多いだろう。
正確無比のキックと独創性溢れるプレーで観客を魅了したファンタジスタは、2002 FIFAワールドカップで無念の落選。フィリップ・トルシエ監督による選考は、当時世間を大いに驚かせた。
2002年、日本は史上初のW杯開催に沸いていた。W杯熱を象徴する物の1つが、同年2月に東京・渋谷の東急百貨店東横店壁面に掲示された巨大広告だった。
サッカー日本代表のオフィシャルユニフォームを身にまとった中村が大写しになっており、W杯メンバー招集に対する期待の高さがうかがえた。
しかし、中村が大会期間中に青のユニフォームへ袖を通すことはなかった。
トルシエ監督は想像力のある選手よりも実利的な選手を好む傾向にあり、中村は選考基準に合致しているとは言えなかった。
本大会直前の5月に実施された代表合宿で足首を痛めたこともマイナスに作用した。

