
FC町田ゼルビアに完全移籍加入した小川航基【写真:編集部】
日本代表としてFIFAワールドカップ2026(北中米W杯)に出場し、ヨーロッパでの挑戦を続ける選択肢もあった小川航基が、およそ3年ぶりに日本へ戻ってきた。W杯直後という異例のタイミングで、29歳のストライカーが選んだのはFC町田ゼルビアだった。そこには、欧州への思いを抱えながらも、自らのサッカー人生と向き合った末にたどり着いた、明確な理由があった。(取材・文:藤江直人)[1/2ページ]
月額最安値で視聴するならDMM×DAZNホーダイ[PR]
小川航基が下したサッカー人生1度目の大きな決断

小川航基にとって水戸ホーリーホックへの移籍はサッカーキャリアの転機に【写真:Getty Images】
表情が険しくなった瞬間をいまでも鮮明に覚えている。小川航基は明らかに気色ばんでいた。
神奈川県の強豪・桐光学園高校からジュビロ磐田へ加入して4シーズン目の2019年6月。トゥーロン国際大会に臨むU-22日本代表が日本を発つ前の事前合宿を取材した際の質疑応答で“それ”は起こった。
メンバーの一人に選出されていた小川にこんな質問をぶつけた。出場機会を求めて期限付き移籍する選択肢はあるのか。間髪入れずに返ってきた、やや語気を強めた言葉は「まったく考えていません」だった。
この時点のJ1リーグでの成績は、トータルで23試合に出場してわずか1ゴール。高校時代から将来の日本代表を背負う大型フォワードとして期待されながらも、2017年5月のFIFA U-20ワールドカップ(W杯)で左膝前十字じん帯断裂および半月板損傷の大怪我を負った影響もあって、小川は伸び悩み気味だった。
トゥーロン国際大会と同時期には、東京五輪世代を中心とする森保ジャパンが南米選手権に臨んでいる。ブラジルの地で戦ったメンバーにも選ばれなかった小川が、大きな決断を下したのは1カ月後だった。
J2の水戸ホーリーホックへの期限付き移籍。冒頭で記したやり取りの際に小川が怒ったように映ったのは、思い悩む胸中を突かれたからだったかもしれない。環境を変えた当時の決断を小川はこう振り返る。
「(水戸には)若い選手がものすごく多くて、それこそマエヒロも一緒にプレーしていました。僕自身もそうでしたけど、このチームで活躍して上の舞台へいくんだ、といった野心をみんながもっていました」
マエヒロとは北海道コンサドーレ札幌からの期限付き移籍を、2019シーズンに完全移籍に切り替えた前寛之であり、運動量豊富なボランチはアビスパ福岡をへて、2025シーズンからFC町田ゼルビアに所属している。
小川の水戸時代を振り返れば、2019年7月以降の半年間で7ゴールをマーク。同年末の東アジアE-1サッカー選手権に臨んだ日本代表に初めて選出され、香港代表とのデビュー戦でハットトリックを達成した。
“もう終わった選手”という辛辣な視線を覆した小川は、2022シーズンに加入した横浜FCで26ゴールをあげてJ2得点王を獲得。翌2023年夏にはオランダ・エールディヴィジのNECナイメヘンへ加入。3年間でエールディヴィジ通算26ゴールをあげて、その間の2024年3月に復帰を果たした森保ジャパンにも名を連ね続けた。
FC町田ゼルビア移籍の理由「代表では結果は残せたかもしれないけど」

北中米W杯グループステージ初戦のオランダ戦では劇的同点弾につながるヘディングシュートを放った小川航基【写真:Getty Images】
まだ記憶に新しいFIFAワールドカップ2026(北中米W杯)。28歳にして初めて夢舞台に臨んだ小川は、オランダ代表とのグループステージ初戦の89分にコーナーキックから強烈なヘディングを一閃。これが鎌田大地の頭に当たって同点ゴールとなる劇的な展開を介して、日本代表の歴史に名を刻んだ。
サッカー人生を激変させた水戸への期限付き移籍から約7年。小川が再び大きな決断を下した。
NECとの契約を2年間残していたなかで、町田への完全移籍が発表されたのは8月24日。3日後の同27日には町田市内のクラブハウスで、原靖フットボールダイレクター(FD)とともに加入会見に臨んだ。
北中米W杯を戦った森保ジャパンの陣容を振り返れば、23人のフィールドプレーヤーで国内組は長友佑都だけ。Jリーグへの復帰で、イコール、今後の日本代表入りや4年後のW杯出場をあきらめたのか。そのような声や意見を何度も見聞きしている小川は、町田への移籍を決めた理由を明かしている。
「まったく逆で、僕はW杯に出るため、日本代表で活躍するために帰ってきました。みなさんが思っている以上に、どうすれば点を取れるのか、どこのクラブ、どこのリーグにいれば自分が輝けるのかを、僕自身が一番よくわかっている。自分の選択肢のなかで、W杯に一番近いクラブを選びました」
もちろんNECに続いて、ヨーロッパの舞台で挑戦を続ける選択肢もあった。小川自身も「僕はヨーロッパの5大リーグに行きたいと、ずっと思ってきました」と明かしながら、こんな言葉を紡いでいる。
「代表では結果は残せたかもしれないけど、オランダで3年間プレーしてきたなかで、ヨーロッパではなかなか評価されなかったというか、移籍できても5大リーグの下位クラブかな、と。僕はそう考えました。
下位のクラブだと、おそらくカウンターのサッカーになりますよね。そこで僕のようなタイプのストライカーが点を取れるのか。今までの僕のキャリアを振り返ったときに、そのようには思えませんでした」
33歳になる直前に開催される次回のW杯に必ず出場する。日本代表に呼ばれ続けるためには所属クラブでゴールを量産し続ける。最大の目標から逆算し、弾き出された答えが町田への移籍だった。
「来年に30歳になるフォワードは…」小川航基が国内復帰を決めるまでの葛藤

小川航基の獲得にあたって何度もオランダまで足を運んだという原靖FD(写真左)【写真:編集部】
「ヨーロッパでのプレーを続けるのは、僕のなかでも大きな部分を占めていました。いろいろな人にも相談しましたし、今回の決断を下すまでに、自分でも今までにないくらい本当に考えました。
ただひとつ言いたいのは、決して(日本代表やW杯を)あきらめたわけではない、ということ。僕がここで年間20点、30点と取り続けるとしたら、可能性は誰にもわからないわけですよ」
すでにエールディヴィジが開幕し、今夏の移籍期限も迫ってきた。ヨーロッパのクラブからオファーが届かないなかで、原FDが何度もオランダへ足を運ぶなど、熱意と誠意を示してきた町田を選んだ。
迎え入れた町田にとっても、大きなチャレンジとなる。近年の流れを踏まえながら原FDが言う。
「みなさんもよくご存じの通り、日本から海外へ移籍する動きが止まらない。失礼な言い方になりますけど、そのなかで30歳を超えてちょっと下り坂になった選手が帰ってくる流れがデフォルトになっている。
日本ではW杯の直後に、代表選手が帰ってきた例はない。そのなかで小川選手が私たちのチームに入ってきて、他の選手たちに刺激を与えてくれる。今回の決断には本当に感謝しています」
今回の移籍金は200万ユーロ(約3億7000万円)で、小川の年俸はJリーグの日本人選手のなかで最高額となる4億円(推定)とされる。それでも小川は条件が決め手になったわけではないとあらためて言う。
「5大リーグへ移籍すればもちろん年俸もアップする。そこからのオファーがなかった状況で、今シーズンでいくら頑張っても、来年に30歳になるフォワードはヨーロッパではどうしても後回しにされる。
僕自身もオランダでプレーした3年間で、(現地までの)フライトまで用意されていたにもかかわらず、前日になって(移籍が)破談になった経験もあります。それくらい移籍は簡単なものではないので」
開幕3連勝で首位に立つ町田は、このままシーズン終了まで突っ走り、J1挑戦3シーズン目で悲願のリーグ優勝を果たすために必要不可欠な戦力として、原FDを通じて熱いラブコールを送り続けた。
クラブ全体の熱意にも胸を打たれた小川は今、何かに導かれたような摩訶不思議な縁を感じている。