
FC町田ゼルビアに完全移籍加入した小川航基【写真:編集部】
日本代表としてFIFAワールドカップ2026(北中米W杯)に出場し、ヨーロッパでの挑戦を続ける選択肢もあった小川航基が、およそ3年ぶりに日本へ戻ってきた。W杯直後という異例のタイミングで、29歳のストライカーが選んだのはFC町田ゼルビアだった。そこには、欧州への思いを抱えながらも、自らのサッカー人生と向き合った末にたどり着いた、明確な理由があった。(取材・文:藤江直人)[2/2ページ]
「高校サッカーのときから感じていた」。小川航基が感じている“縁”

小川航基はFC町田ゼルビアで9番を背負う【写真:編集部】
たとえば高校3年次にキャプテンとして臨んだ全国高校サッカー選手権大会の3回戦。2ゴールをあげた小川はPKを外してハットトリックを逃すと、試合終了間際にはロングスロー攻勢に屈して連続失点。そのままもつれ込んだPK戦の5人目で小川が再び外す展開の末に、青森山田高校の前に屈した。
当時の敵将だった黒田剛監督が2023年にプロへ転身して町田を率いている。小川が言う。
「勝ちに徹する美学のようなものを高校サッカーのときからすごく感じていました。あのときも最後まであきらめずにロングスローを放り込んできて負けたし、ものすごくリスペクトを感じています」
選手登録も完了し、出場が可能になる29日の第4節の相手はJ1初昇格を果たした古巣の水戸になる。
「水戸がJ1昇格を決めたときは、僕もめちゃくちゃうれしかったのを覚えています。そのクラブが復帰戦の相手になるかもしれない、というところに関しては、何だか縁みたいなものを感じています」
先に柏レイソルへ移籍した藤尾翔太の「9番」を背負う小川はすでに覚悟を決めている。サッカー人生で2度目の大きな決断を正解にして、さまざまな雑音を封じ込めるためにも何がなんでも結果を残す。
脂が乗った年齢でヨーロッパから戻る。自身が作ろうとしている新たな流れをさらに加速させて、日本サッカー界全体の価値を上げていくためにも、小川はゴールだけを貪欲に追い求めていく。
(取材・文:藤江直人)
【著者プロフィール:藤江直人】
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後の1989年に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。
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