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J2 2026.10.24 11:00

「今でも工藤にパワーを…」42歳・菅野孝憲、盟友との別れから4年――「格好悪っ」と思われないために【コラム】

シリーズ:コラム text by 黒川広人 photo by Getty Images

北海道コンサドーレ札幌 菅野孝憲

北海道コンサドーレ札幌の菅野孝憲【写真:Getty Images】



 北海道コンサドーレ札幌がモンテディオ山形に勝利した2026年10月21日。柏レイソルなどで活躍した工藤壮人さんが、この世を去ってから4年が経った。柏で長らくプレーし、酸いも甘いもともに味わってきた菅野孝憲は、42歳となった今もギラついている。今季ここまでリーグ戦の出場機会はないが、虎視眈々と出番をうかがい、トレーニングに励む。42歳の守護神が、今も変わらず見据えるものとは――。(取材・文:黒川広人)

【2026/27明治安田J2リーグ第12節】
2026年10月21日 モンテディオ山形 0-2 北海道コンサドーレ札幌
(NDソフトスタジアム山形)

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「すごく格好いい男だった」。菅野孝憲が語る工藤壮人さん

柏レイソル時代の工藤壮人と菅野孝憲  2014年2月16日 ジェフ千葉とのプレシーズンマッチより

柏レイソル時代の工藤壮人と菅野孝憲。何度も勝利の瞬間を喜び合った【写真:Getty Images】


 菅野孝憲は、2009年から2015年までの7シーズン、柏レイソルで工藤壮人さんとともにプレーした。J2降格、J1昇格、J1優勝。さらには天皇杯やJリーグカップの優勝、クラブワールドカップ出場など、数々の栄光と挫折をともに経験してきた。

 そんな盟友との突然の別れ。体調不良を聞き、病名(水頭症)を聞いたときも、再びともに時間を刻めると信じて疑わなかった。

「信じられなかったですね。何が起きたのかって。最初に病名を聞いたときは、そんなに深刻になる可能性は、パーセンテージ的にはそこまで高くないとも聞いていたので」

 だが、容態は悪化した。集中治療室で懸命な治療が続けられたものの、2022年10月21日14時50分、工藤さんは帰らぬ人となった。32歳の若さだった。

「本当に信じられなかったですし、いまだに信じられないというか。今も奥さんと連絡を取ったりするんですけど、いまだに信じられないですもん」

 菅野にとって、6学年後輩の工藤さんはどんな存在だったのか。

「一言で言えば、本当に負けず嫌いというか、そういう思いを口じゃなくて、ピッチ上のプレーで示す人間だったし。本当に一人の男として、すごく格好いい男だったなって」

 ともに歩んだ7年間で、特に印象に残っている出来事は何か。そう尋ねると、一つには絞れないと前置きしたうえで、菅野はこう振り返った。

「俺と同じ匂いを感じた(笑)」。盟友と分かち合ったハングリー精神

柏レイソル時代の工藤壮人と菅野孝憲  2015年12月29日 浦和レッズとの天皇杯より

菅野孝憲は柏レイソル時代、工藤壮人と7シーズンにわたってプレーした【写真:Getty Images】


「やっぱり喜んだことよりも、お互いに『ここから這い上がっていこう』っていう思いですかね。彼がアメリカに行くときも、そこがゴールではなくて、『そこから俺はヨーロッパに行きます』みたいな。酒井宏樹(現オークランドFC)もそうですし、ああいう同年代に海外でプレーしたり、日本代表で戦う選手が身近に多かったので。

 本当に切磋琢磨というか、仲間なんだけど、全員が刺激し合える仲間というか。言葉というよりも、印象に残っているのは工藤のハングリーな姿勢ですね」

 2016年には、ともに柏を離れ、それぞれ新天地へと挑戦の場を移した。所属クラブは別々になったが、互いに刺激を与え合う関係は変わらなかった。

「優勝しても工藤は何も満足することがなかったし、そういう貪欲な姿勢っていうのは僕も強く持っていたので、彼からは俺と同じ匂いを感じた(笑)。互いに切磋琢磨しながら、『これでも満足しないか?』、『このゴールでも満足しないか?』って。

 そこがあいつの大好きなところですね。そういう姿勢で、どのカテゴリーに行ってもやっていたと思います。そういう意味でも、思い返すと、あのハングリーな男がいなくなったのは今でも寂しいですよ」

 そんな工藤さんを、今も身近に感じられるものがある。

「格好悪っ」と思われないために。42歳・菅野孝憲が貫く流儀

北海道コンサドーレ札幌 菅野孝憲

今年42歳を迎えた菅野孝憲だが、定位置争いへ牙を研ぎ続けている【写真:Getty Images】


「工藤の奥さんから彼のユニフォーム型のキーホルダーを、僕ももらっていて。それは常に。試合にも一緒に持って行っています」

 周囲からプロフェッショナルの鑑と評される菅野。その姿勢を支える原動力の一つが、工藤さんをはじめ、ともにサッカー人生を歩んできた仲間たちの存在だ。

「工藤だけじゃなくて、サッカー選手になりたくてもなれなかった選手も育成年代にはいましたし、まだ現役を続けたくても、引退しないといけない選手もいました。そういう奴らが自分を見たとき、恥ずかしくないようなサッカー選手でいようっていうのは、常に心がけているので。

 彼らのためにというような大げさなことは言えないですけど、一緒に関わった選手たちだったり、スタッフが僕を見たとき、『格好悪っ』って思わないというのが、僕のなかの一つの基準で。僕は毎日、そういう思いで生活しています」


 工藤さんをはじめ、ともに歩んできた多くの仲間たちに恥じない男であり続ける。その思いを胸に、今も北海道コンサドーレ札幌の守護神の座を奪い返すべく、日々のトレーニングに励んでいる。

「工藤は、サッカー選手としてもまだまだできただろうに、命を落としてしまったので。毎回、毎回、そのキーホルダーを見れば、ちゃんと彼のことを思い出します。今、自分は試合に出られていない状態ですけど、そういうなかで逆に今でも工藤にパワーをもらっちゃっている感じですね」

 負けず嫌いで、ハングリー精神の塊だった工藤さん。そんな男と共鳴してきた菅野もまた、42歳となった今なお、ギラつき続けている。

「ただ出るだけじゃなくて、出て勝つ。そういう選手に必ずなる。それは目指すんじゃなくて、絶対になるので。そして、コンサドーレで昇格する。そういう強い気持ちを持って、また明日から新しい競争を頑張りたいなと思います」

 試合終了の笛は、次の戦いの始まりを告げる合図でもある。菅野孝憲は今もまさに、次の出場機会をつかみ、チームを勝利に導くために、本気でポジションを奪いにいっているはずだ。

(取材・文:黒川広人)

【著者プロフィール:黒川広人】
北海道出身。大学卒業後、フジテレビで番組制作を担当。2018年よりDAZNにてJリーグ関連の番組制作に携わる。2022年からは株式会社dscに所属し、Jリーグ、Jクラブ、WEリーグをはじめとする各種スポーツ団体の映像ディレクション業務を担当。また、地元・北海道を中心に学生年代の取材活動も精力的に行う。

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