受け入れたくない事実
読み始めてまもなく、うんざりしてきたことに気がついた。
有名大学に入学して大企業に就職するのが良い人生を送るおそらく最良の方法だ――たとえば、そんなことを繰り返し言われているような気持ちに、だんだんなってきたからである。もちろん、そんなことはひと言も書かれていない。フットボールプレーヤーとして、監督として、シメオネの信念が真摯に綴られているだけだ。
「つまるところ、ボールがあるために私たちの心をつかんで離さないこの球技は、ボールのない競技なのである」
「選手は、システムの一部として機能しなければならない」
「私にとって試合は“戦争”であり、ライバルを“殺す”必要があるという心持ちでいた」
「相手のミスに基礎を置くこの競技では、リスクを最小限に抑えるというのが私の考え」
「自分はどういった勝利を好んでいるのか? 相手より1点多く記録すること、である」
シメオネは本当のことを語っている。しかし、人によってはそれは不快な真実かもしれない。逆に痛快に思う人もいるだろう。世の中には受け入れたくない真実、ことさらに強調されたくもない事実が存在する。それをつきつけられたとき、ある種の人はうんざりする。
「シメオネのサッカーに共感する部分は1つたりともない」
アルゼンチンの名将だったセサル・ルイス・メノッティはシメオネのサッカーを全否定している。アルゼンチン代表選手としてシメオネが最初に指導を受けたのは、メノッティとは正反対といわれるカルロス・ビラルドだった。
シメオネ自身は、メノッティ派とビラルド派の対比などメディアが作り上げたものにすぎないとしていて、メノッティに対して敬意こそあれ何の批判もしていない。自分の信念がメノッティと相容れないとも思っていない。