「豊満かつ芸術的」でなくとも、共感得るアトレティコ
シメオネにも彼のサッカーの理想、イメージがある。それはメノッティや他の誰かとは違っているかもしれないが、確かにあると言う。そのプレーの形について、学校の試験問題だった「好きな動物と、なぜ好きなのか」に喩えている。シメオネの回答は、「犬。だって好きだから」。
趣味趣向を別にして、監督シメオネは勝利至上主義である。しかし、「成功というものは、少し意気消沈させるものだ」と、意外なことを言っている。エスツディアンテスを率いてアルゼンチンでリーグ優勝したとき、「空虚感を抱いていた」。
「成功へと続く道程は、成功をつかんだという事実よりもずっと楽しい。人間はその道程の中にある状況、出来事、変化から活力を得ていくもので、たどり着いたときにそれは失われる」
拙著『サッカー右翼 サッカー左翼』で、気鋭の右翼・シメオネ監督をギリシャ神話の「シジフォス」に喩えた。ゼウスの怒りを買い、岩を押し上げ続ける罰を受けたシジフォスは徒労の象徴である。山の頂上まで岩を押し上げても、すぐに反対側の斜面を転がり落ちてしまうからだ。だが、シジフォスは人間の崇高さと美の象徴でもある。
押し上げている岩は「運命」、その重みに耐えて押し返すシジフォスが「人生」。運命と人生はごっちゃにされがちだが、人にはどうにもならない絶対不敗の王者が運命、ただ1人の挑戦者が人生だ。
シメオネのアトレティコ・マドリーは、レアル・マドリーとバルセロナという強大な2チームと同じリーグにいる運命に対して、あらんかぎりの抵抗を試みている。過酷な運命に抗うほど生命力は横溢して輝く。
シジフォス逮捕に向かった死の神タナトスは、シジフォスに騙されて手錠をかけられ誰も死ななくなってしまう。最終的にシジフォスは囚われるわけだが、死を封印したシジフォスのように、シメオネのアトレティコは勝利至上主義でありながら敗北を全く恐れていない。
巨大な2クラブをときにねじ伏せるアトレティコが、たとえ「豊満かつ芸術的」でないとしても、人々の共感を得るのは自然なことだと思う。
(文:西部謙司)
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