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【Jリーガー肥田野蓮治の異色キャリア図鑑】「普通に辞めたかった」劣等感と限界と変貌と。浦和レッズのストライカーになるまで道のり

シリーズ:Jリーガー異色キャリア図鑑 text by カカロニすがや photo by Getty Images

浦和レッズFW肥田野蓮治とカカロニすがや
浦和レッズFW肥田野蓮治とカカロニすがや【写真:編集部】



 お笑い芸人であるカカロニのすがやが気になるキャリアを持つサッカー選手にインタビューし、その模様を自身のYouTubeチャンネル『カカロニフットボール』では動画に、そしてウェブメディアのフットボールチャンネルでは文章にするコラボ企画「Jリーガー異色キャリア図鑑」。今回は浦和レッズの大卒ルーキーでありながらチームトップの得点数を記録する肥田野蓮治にキャリアを振り返ってもらった。(取材・文:カカロニすがや)[1/2ページ]
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【肥田野蓮治プロフィール】
 2003年生まれ、千葉県出身。FC東京U-15深川を経て関東第一高校では高校サッカー選手権ベスト4進出。桐蔭横浜大学では3年次に浦和レッズ内定を決めた。ルーキーイヤーとなった2026特別シーズンはここまでチーム最多の4得点を挙げている。

【カカロニフットボールの動画はこちら】

キャッチボールをしに行ったら…

浦和レッズFW肥田野蓮治

ルーキーながらここまで4得点を挙げる浦和レッズFW肥田野蓮治【写真:Getty Images】

 初めてお会いした時から、ピッチで見る姿とは異なる、穏やかな印象を受ける肥田野選手。そのキャリアを自ら振り返っていただきました。

 「小学校ではエースでしたね」

 始まりは、小学校1年生の終わり。野球経験者だった父とキャッチボールをしに行った校庭で練習をしていたのが千葉県内の街クラブの中では有力な部類に入る東習志野FCでした。

 既に小学校の友達も複数所属しており、友達のお父さんに「一回ボール蹴ってみる?」と誘われ、キャッチボールより楽しかったため、サッカーの道へ。


 このチームは千葉県ベスト8に名を連ね、個人としてはナショナルトレセンに選出されるほどの活躍を見せました。

 そんな少年に、世界が変わるような出会いがあったそうです。

 「それまでは『千葉で一番かな?』くらいの感覚がありました。

 ただ、FC東京のアドバンスクラスのセレクションに受かって、週1回の練習なんですけど、そこで世界が変わりました。自分より上手い人がゴロゴロいて」

 と、当時を振り返ります。

 そしてここから、肥田野選手が「大学の途中まで、ずっと自信がなかった」と語るキャリアの中でも特に難しい時期を迎えます。

うまくいかなかった中学時代

浦和レッズFW肥田野蓮治とカカロニすがや
YouTube「カカロニフットボールチャンネル」ではトークのほぼ全編を視聴できます(画像をタップでYouTubeに遷移)【写真:編集部】

 「ほぼ出てないっすね。試合」

 中学時代について尋ねた時の、第一声でした。

 体格に恵まれたチームメイトが多かったFC東京U-15深川は、肥田野選手が3年生のときに日本一にも輝きました。しかし、一番身体が小さかった肥田野選手は厳しい現実に直面します。

 「ご飯をいっぱい食べたり、走り込みをしたり。でも上手くいかなくて。出られない中でも、自分にしかない技術を磨こうと」

 と、腐らず、努力を怠らなかった真面目な肥田野選手。一学年上の稲村隼翔選手の存在が大きかったと言います。

 「優しいんで、自分が苦しんでいる時に気にかけてくれた」


 「自分と同じような境遇で、細くて、背も高くなくて、試合も出られない。そんな選手が、高校、大学と注目選手になっていたのに刺激をもらっていました」

 しかし、全国屈指の強豪・前橋育英高校に進んだ稲村選手とはまた違ったキャリアを辿ります。

 進学した関東第一高校は都内では強豪ですが、群雄割拠の東京では、全国大会に出られるかどうかという立ち位置のチームです。

 「もっと強豪とされる学校からもオファーいただいていましたけど、中学でやりたいサッカーができなかった分、自分のテクニックを活かせるチームに行きたくて」

 当時のプレースタイルは本人曰く、「パサー。自分ではいかない(笑)」とのこと。僕が高校時代の彼に抱いた第一印象もそんな選手でした。

 2年時から頭角を表し、出場機会を掴んでいきます。当時の本職だったボランチに加え、サイドバックでもプレーすることになりますが、「サイドバックは嫌でした。守備したくなかった(笑)」と本音も。

 「でも、与えられたことは100%でやるので、そこまで態度には出てないはず」

 メンタルがストライカーっぽくない。

衝撃だった静岡学園のボランチ

関東第一の10番として全国高校サッカー選手権に出場した肥田野蓮治
関東第一では全国高校サッカー選手権でベスト4入りを果たす【写真:Getty Images】

 高校3年生のときには10番を背負い、全国高校サッカー選手権ベスト4という成績を残し、大会優秀選手にも選出されました。

 「正直自分たちでもビックリしました」

 というのも、くじ運が強いというべきか、悪運が強いというべきか、対戦相手は難敵揃い。

 「2回戦が、チェイス・アンリ選手のいる尚志。3回戦が矢板中央、次が大津、シズガク(静岡学園)」

 当時プロ内定4人に加え、後に浦和レッズに同期加入する松永颯太選手や、大卒で川崎フロンターレに入った持山匡佑選手、さらにベンチ外にも大卒でジェフユナイテッド千葉に加入する松村拓実選手、下級生にも高卒Jリーガーがいた静岡学園は高校3年間で対戦した最も衝撃的な相手として挙げてくれました。

 特にプロ内定選手と自分の間には大きなレベルの差を感じたそうで、中でも玄理吾選手に関しては「上手すぎて誰もとれない。どうすればいいんだ」と、本人曰く「お手上げ」状態。

 しかし『どうすればいいんだ』の解として関東第一が講じた策は、「皆で(自分達の守る)ゴールの中に入って(笑)。全員で粘って粘って」。


 一方的に攻められる中、たった2本のシュートの内の1本が、アディショナルタイムの同点弾。そこからPK勝ち。僕の記憶にも残る名試合でした。

 ここを突破した関東第一は、こちらもレッズに同期入団した佐藤瑠星選手擁する大津高校と決勝を賭けて戦うことになっていました。

 しかし、思いがけない悲しい終わりが訪れます。

 メンバーに新型コロナウイルス陽性者が出てしまい、出場辞退。

 最後の大会は試合をできずに終わりました。

 「最初は状況を整理するのに時間がかかりました。急に明日試合ないって言われたので。悲しいよりびっくり。でも、コロナに感染しちゃったチームメイトの苦しみを見ると悲しくなりました。」

 と、辞退したことよりも、チームメイトの姿に悲しみを感じたそうです。優しい人間性を感じると共に、時世を憎まずにはいられません。

 決めました。

 関東第一の肥田野選手世代のサッカー部員、街やスタジアムで声かけてくれたら、ビールかスタバ奢ります。全員。

 すがやのおじさん約束する。

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