サッカー界ができる“テロとの戦い”。パリの大きなテロ事件とカンボジアの小さな試合から考える

11月13日、パリで凄惨な同時多発テロが起こった。スタジアムが標的になったことから私たちにも無関係ではない。サッカーに携わる人々は一体何ができるだろうか。

2015年11月20日(Fri)11時25分配信

text by 植田路生 photo Yukiko Ogawa , editorial staff
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サッカースタジアムもテロの標的に

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パリでの凄惨な同時多発テロから一週間が経とうとしている【写真:小川由紀子】

 パリでの凄惨な同時多発テロから一週間が経とうとしている。同時期に他地域で起こったテロにも言えることだが、罪なき人を巻き込んだ殺戮は許し難い蛮行であり、被害に遭われた方々やその家族には謹んで哀悼の意を表したい。

 今回のテロは、フランス代表の試合が行われていたスタッド・ドゥ・フランスも標的になった。サッカー界も“当事者”である。警備体制の強化や外交政策といった国単位で次なる被害を生まぬ解決策を考えるのはもちろんだが、私たち自身でもできることがあるのではないか。

 最も有効なのは憎しみの連鎖を断ち切ることだ。テロ行為自体はまったく理解できないが、終わらぬ内戦や欧米のある種の過剰な関与が憎悪を膨らませたのは言うまでもない。単純に武力で反撃するのではなく、憎悪の原因を追求・解明していかなければならない。

 もちろん、個人できることには限りがある。例えば、Facebookのプロフィールをトリコロールにすることに一部で疑問の声や批判があった。そこには「パリだけではない、他地域でも悲しいことが起こっている」「安易にフランスだけに思いを寄せるのではなく、世界全体の悲劇についての理解を深める必要がある」という主旨があり、それについては完全に同意するものの、レバノンの位置も知らぬ人々がベイルートでの惨劇にパリと同等の気持ちを抱くのはやや難しいのではないか。

 大事なのは、無垢な善意に水をぶっかけることではなく、それぞれの立場で、それぞれのキャパシティの中で全力を尽くして異文化への理解を深め、想像力を働かせていくことだ。国際情勢に詳しい人はさらに知識を得てそうではない人に教えればいい。あまり知識がない人はパリに思いを馳せることから始めたっていい。

 そういう意味では、サッカーは大きな貢献ができる。いち側面から見れば、サッカーという競技は異文化間の衝突でもあるからだ。

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