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連載コラム 11年前

W杯前に知るべきブラジル・フッチボール。富裕層に好まれるクラブ、貧困層に愛されるクラブ

シリーズ:W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール text by 田崎健太 photo by Kenta Tazaki , Sachiyuki Nishiyuki

庶民に愛されるコリンチャンス

 コリンチャンスは、民族コミュニティ色が薄く、貧しい人たちからの支持という立ち位置である。

 コリンチャンスの過去の試合結果を網羅した『アルマナク・ド・コリンチャンス』という本がある。著者のセルソ・ダリオ・ウンゼルチとはぼくが95年に初めてブラジルを訪れて以来の友人である。同じ年の彼は熱狂的なコリンチアーノ――コリンチャンスのサポーターで、ぼくもその影響を強く受けることになった。

 出会った頃、20代半ばだった彼は、いつかコリンチャンスの百科事典のようなものを作りたいと話していた。その夢は早々に実現され、今はコリンチアーノを代表する解説者としてテレビに出演している。

 彼の思い入れたっぷりの本の冒頭は〈Humilde como seu povo〉という小見出しで始まっている。これは「庶民のような慎ましさ」という意味だ。「povo」とは庶民、あるいは大衆を意味する単語で、コリンチャンスの形容にしばしば使われる。

イタリア系移民が創設したパルメイラス

 コリンチャンスは1910年に創立された。クラブの名前は、この年にブラジル遠征に来た、イングランドのコリンチャンス(コリンシアンズ)というアマチュアクラブからとっている。創設メンバーは5人のポルトガル系ブラジル人である。ポルトガル系ブラジル人がイングランドのクラブの名前をつけるように、民族コミュニティの縛りが薄い。

 コリンチャンスと似て、民族コミュニティの縛りが緩く、庶民の支持を集めるクラブがリオのフラメンゴである。元日本代表監督のジーコが赤と黒色のユニフォームでプレーした、あのクラブである。フラメンゴはコリンチャンスよりも古く、19世紀の終わり、1895年に立ち上げられた。

 サンパウロに本拠地を置き、コリンチャンスと激しい対立関係にあるパルメイラスはイタリア系移民によるクラブだ。1914年、ポルトガル、ドイツなどの移民がクラブを持っているにも関わらず、自分たちのクラブがないという投書が雑誌に掲載されたことが、クラブ創設に繋がった。

 リオのバスコ・ダ・ガマは、ポルトガル系移民によるクラブである。クラブの名前はポルトガル人探検家であり、当初はポルトガル系移民しか加入することが出来なかった。

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