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戸田和幸という生き方(前編)

text by 大泉実成 photo by editorial staff

時代を超えて現れる同じパターン

──中学時代に体のほうもできていった。

戸田 身長は175ぐらいありました。ただ細かったですね。細いけどスピードはそこそこあって、ジャンプも飛べた。

──全国で三位になったということで、注目を浴びるようになりますよね。

戸田 東京選抜に呼ばれるようになりました。行くと読売のやつとか、三菱のやつがいて、ハバきかしてんですよね、嫌いだったんですけど(笑)。読売クラブにいるから、俺はうまいみたいな。「関係ねーじゃん」と思ってたんで、すごいいやでした、そういうの。

 だからあんまり仲良くなかった。でもそういう人はみんな消えるんですよ。(大事なのは)“入っているチーム”じゃなくて、“自分”ですからね。“自分”がどこ(のレベル)にいるかだから。だからハナにつく人が多かった気がしますね。「町田なんかフン」みたいな感じでしたけど、僕ら試合すると負けなかった。東京といえども町田は郊外で、都会ではなかったけど、僕らには僕らの誇りがあった。

 戸田のサッカー選手としてのあり方は泥臭いものだったが、それでいていつもサッカーエリートたちを大きくしのぐ働きを見せてきた。常に上を見て上に追いつこうともがくその姿勢が、少年時代の兄弟関係、中学のサッカークラブチームと、時代を超えて現れてくるのが面白かった。

 特にはっきりするのが東京選抜においてで、このように時代を超えて現れる同じパターンを臨床心理学ではアモルフ(同型)と呼び重要視する。それはまた、将来においても現れる可能性があるからだ。

 中学時代の戸田が攻撃的な左サイドバックだったというのが実に以外だった。のちのプレースタイルとあまりにかけ離れているからだ。この後、戸田にいったい何が起こったのだろうか。

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