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戸田和幸という生き方(前編)

text by 大泉実成 photo by editorial staff

どうすれば生き残れのか常に考えていた

──ところがそういうプレーは評価されない。

戸田 だから全部なくして一から作り直さないといけなかった。これをやったおかげでプロになれたんだろうと思います。ただプロになってから、それだけじゃダメだなとまた思うようになった。ノリや思いつき、強引なプレーもまた必要になるんですよ。

──今の話を聞いて思い出したのは、戸田さんと同学年の森崎嘉之(市立船橋高校からジェフ市原)さんのことですね。彼は選手権で得点王になるわけだけど、プロに入るまで挫折したことがなかった。だから、いったん壁に当たったらそれをどうやって越えればいいのかわからなかった。結局それが越えられないうちに、生活が荒れてしまった。でも戸田さんのような経験があると…

戸田 挫折続きですよ。

──(笑)どう立て直せばいいかというのが、頭の中に常にあるということですね。高校ではポジションも変わった?

戸田 下がりましたよね。センターバックになって、後ろからビルドアップするのがうまくなった。まったく違うタイプになったんですよ。やたら口うるさい高校生でしたよ(笑)、頭でっかちで。

──三年のときのチームはどんな感じでした。

戸田 弱かったです。関東大会に出ただけで、それも一回戦負けだし。僕が不思議だったのは国体に選ばれないくせにユース代表に入ったことでしたね。珍現象。ユース代表の監督が(山本)昌邦さんで、ジュニアユースのときに見てくれてたんで。あれが大きかったですね、SBSカップに出れてプロにつながった。

──SBSカップではプロになれるかどうかを意識していましたか。

戸田 そうですね。生き残り合戦でしたし。僕は人と群れれないタイプの人間なんで、一歩ひいて見ちゃう。だからどうやれば生き残れんのかなというのを常に考えてたんですよ。こいつとこいつがいるから、こいつには勝たないとな、とか、ずっとそういうふうに考えていた。

──U‐17のときも不思議でしたよね。あのチームはみんなが中学生のときから強化していた。にもかかわらず本大会で使われたのは戸田さんだった。内側から見ていて、なぜだと思いますか。

戸田 わかりません。何で呼ばれたのかもわからないんですから。あれこそ運じゃないんですか。

──このチームで印象に残っていることとか、事件とかってありますか。

戸田 まったく蚊帳の外でしたからね、僕は。まあでも、ヒデさんはちょっと違ったな。体が強かった。走れたし。縦への推進力はすごかった。あの後あの人がパサーになったから不思議だなあと思ったんですけど、僕は。使われて、ゴールまで行くっていう選手だったから、あの時は。

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