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戸田和幸という生き方(前編)

text by 大泉実成 photo by editorial staff

高校二年生までは暗黒の時代だった

戸田和幸という生き方(前編)
1993年のU‐17世界選手権に全試合出場。ベスト8進出に貢献した。【写真:編集部】

──じゃあ高校入ってから。

戸田 ええ。でもなんで呼ばれたんですかね。

──それを僕に聞かれても(笑)。

戸田 高校の李監督と小見(幸隆)さんが読売(クラブ)で一緒だったので、多分それで推薦とかしてくれたのかな。でも高校で試合に出てたわけでもないですし、いやでしょうがなかったです、行くのが。

──そうだったんですか。

戸田 自分が下だっていう意識が強すぎて、そういう人たちと一緒にいるのが苦痛でしかないんですよ。皆さんなんか自信満々だし、すごいエリートだから、自分が進んできた感じと全然違うんで、楽しかった印象はあんまりないですね。いつも気後れしてて、苦痛でしかなかったです。

 でも何故か知んないけど、試合に出たんですよ。しかも大会が始まるまで僕はレギュラーじゃなかったんです。大会から急に出始めたんで、意味がわかんなかったです。

──で、桐蔭時代のサッカー部の話なんですけど、先ほどの話では試合に出られなかったと。

戸田 僕は高校三年生からです。二年生までは暗黒の時代です。本気で死のうかと思ったぐらいです。サッカーしかなかったんで。プロになれるかなれないかで、ほんとに生きるか死ぬかだから、勉強もしてないし、サッカー選手になることしか考えてませんでしたから。

 中学生までって、何かを教えられたりとかそういう経験がなくて、自分たちがやってくなかで見つけていったりとか、感性の部分がすごい強かったんです。でも桐蔭のサッカーっていうのは、100%理論でできてるみたいな、全部口で説明できるサッカーで、できなきゃいけなかった。

──そのサッカーには合わなかった?

戸田 最初はね。でもそれが自分に足んなかったということもあると思うんです。特に判断するというところですね。サッカーをきちんと理解するというところとか。プロになってから、サッカーにもいろいろなサッカーがあるっていうのがわかるんですけど、高校生だったんで洗脳されますからね。自分がいるところのサッカーがすべてになるんで。

──つまりその理論どおりに動かないと評価されないという世界ですよね。

戸田 そうです。基本的にはパスサッカーなんですよ。だからドリブルとか、思いつきみたいなプレーは求められなかった。そういう意味では、それまで俺はノリでやってたなあみたいな。いけると思ったらサイド駆け上がって抜けりゃあ全部抜くし、みたいことやってたんで。

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