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連載コラム 10年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。なぜフッキは日本への帰化を望まなかったのか?

Jリーグでプレーしたことから日本でも馴染みの深いフッキ。ブラジルではなく国外で頭角を現したが、ジエゴ・コスタとは異なり、彼はセレソンにこだわった。アントニオ猪木のようなオーラを醸し出していた屈強な男に選択に迫る。

シリーズ:W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール text by 田崎健太 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography

フッキの歩んだ道のり

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。なぜフッキは日本への帰化を望まなかったのか?
フッキこと、本名ジバニウド・ビエイラ・ジ・ソウザ【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】

 ブラジル代表を蹴って、スペイン代表を選んだジエゴ・コスタと似た経歴の選手がセレソンにいる。日本でもプレーしたフッキだ。

 フッキ(HULK)こと、本名ジバニウド・ビエイラ・ジ・ソウザは良く知られているように、少年時代に彼が愛読していたアメリカンコミックの主人公「超人ハルク」からつけられた渾名である。

 フッキは1986年7月にブラジル北東部のパライバ州のカンピナグランデで生まれた。ジエゴ・コスタと同じ、ノルデステ(北東部)生まれで、彼よりも2つ年上にあたる。

 早い時期に代理人によって見出され、欧州を経験しているところも、ジエゴ・コスタと重なる。

 フッキは14歳の時に、ポルトガルへ渡り『ビラノーベンス』というクラブの下部組織に所属している。ビラノーベンスは、ポルトガルの北部ポルトに近い、ビラノーバという街のクラブだ。

 その後、帰国しサンパウロFCの下部組織を経て、ビットーリアでプロ契約を結んだ。とはいえ、ビットーリアでの公式試合出場記録は一試合に過ぎない。フッキもまたブラジル国内リーグで揉まれることなく、国外でその才能を磨くことになった。

 ビットーリアから地球の裏側、川崎フロンターレへ移籍する。フロンターレからのレンタル移籍でJ2コンサドーレ札幌、ヴェルディ東京でプレーした。

 フッキは速さに加えて力強さがあった。日本の中ですでに1人だけワールドクラスの力を見せつけていた。

 そして、ポルトガルのFCポルト、そしてロシアのゼニト・サンクトペテルブルクへ移籍した。ポルト時代に彼もポルトガル代表入りを打診されたが断っている。そして2009年、ドゥンガによりブラジル代表に選ばれた。

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