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連載コラム 10年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。地球の裏側でJリーグを放送した男の足跡(その1)

ジェイリーグ映像との交渉

 ジーコなどのブラジル人がこれほど注目を集めているとはノルベルトは想像もしていなかった。Jリーグの試合をブラジルで放送したらどうだろう、それこそがブラジルで生まれ育った日系人である自分のやるべきだと感じた。

 ブラジルのサッカー界は魑魅魍魎の世界である。一方、Jリーグは日本らしくきちんと整備された組織だということが分かった。Jリーグと関われば、新たなビジネスに繋がるかもしれないという予感があった。

 ノルベルトは食品会社を辞めて、自分の会社を興すことにした。まずは日本の米をブラジルで販売する仲介をすることになった。その傍ら、Jリーグに接触し、ブラジルで試合を放映したいと相談を持ち掛けた。窓口となったのはJリーグの試合映像を一括管理していた『ジェイリーグ映像』だった。社長の森健兒は広島県出身だった。

「自分の父親は瀬戸内海の島の出身です。村上水軍の末裔だと教えられたのですよ」

 ノルベルトは森に言った。

 一試合750ドル――というのがジェイリーグ映像の提案した放映権料だった。ブラジルの通貨は弱く、750ドルはかなりの高額になる。ノルベルトはブラジルに戻り、テレビ局と交渉を始めた。

 しかし、どの局も日本のサッカーでは視聴率は稼げない、スポンサーもつかないだろうと冷ややかだった。

【次週に続く】

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