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連載コラム 10年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。ネイマールの才能はいかにして磨かれたのか?(その1)

シリーズ:W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール text by 田崎健太 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography

原石を鑑定する仕事

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。ネイマールの才能はいかにして磨かれたのか?(その1)
ネイマール【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】

 サントスの後、メキシコのハリスコ、アメリカのタンパ・ベイでもプレーした。ゴールキーパー以外のポジションは全てこなすことから、“万能のカード”である「クリンガ」(ジョーカー)という愛称で呼ばれた。ギリシアのパナシナイコスとの親善試合では、1試合で5つのポジションをこなしたこともある。

「私は元々、サンパウロのジュベントスの下部組織にいた。あの当時のジュベントスはブラジルで最も有望な若手選手を輩出するクラブとして知られていた。ジュベントスからサントスの下部組織に移って、プロ契約を結んだ。あの時には、ペレ、ぺぺ(元ヴェルディ監督)、コウチーニョがいた。みんなサントスの下部組織出身だ」

 サントスの下部組織出身の選手は「メニーノス・ダ・ビーリャ」と呼ばれる。メニーノス・ダ・ビーリャとは、直訳すれば、「街のガキども」となる。

 ネイマールのために13才以下のチームを作ることを認めたジットも52年から67年まで700試合以上サントスでプレーした名選手だった。

 サントスの下部組織には入団を希望する多くの子どもたちがやってくる。彼らを“ふるい”に掛けて、原石の価値を鑑定するのはリマの仕事である。

 選手の目利きで、リマが重要視するポイントが一つある。それこそがネイマールが抜きんでていたところだった。

【次週に続く】

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