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なんと選択肢は“7ヶ国”。無名の存在からついにW杯へ。マンU若手ヤヌザイの激動の一年

text by 桑村健太 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography , Asuka Kudo / Football Channel

本人は沈黙。父親もメディアから遠ざけるなどしていたが…

なんと選択肢は“7ヶ国”。無名の存在からついにW杯へ。マンU若手ヤヌザイの激動の一年
父親のアブディンさんが外交的な役回りを担い、徹底的にヤヌザイからメディアを遠ざけた【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】

 しかし、本人から口から肝心な代表選択についての明確な意思表示はなかった。ヤヌザイには世代別代表でのプレー経験もないと言われている(諸説ある)。様々なユース代表の監督が彼を口説きにやって来たが、ヤヌザイは代表選択に対してきわめて慎重な姿勢を貫いたのだ。

 父親のアブディンさんが外交的な役回りを担い、徹底的にヤヌザイからメディアを遠ざけた。昨年10月には「どの代表チームでプレーするかを決めかねている」という報道が『BBC』からあり、その後もヤヌザイの代表選択に関する決定的なニュースは流れてくることはなかった。時はすでに、2014年に入っていた。各国代表で最終選考が進む中、誰もがヤヌザイ不在のブラジルW杯を予想していたことだろう。

 均衡が破られたのは、突然のことだった。2014年4月23日、ベルギー代表のマルク・ウィルモッツ監督が自身のTwitter上で「ヤヌザイがベルギー代表を選択した」と発表したのだ。W杯の開幕までちょうど50日と迫った記念すべき日の出来事である。

 それはまさに青天の霹靂だった。ヤヌザイが沈黙を貫く中、ベルギー代表に黄金時代をもたらしたこのカリスマ指揮官は、水面下で必死にヤヌザイ側と交渉していたのだ。交渉の具体的な中身は明らかになっていない。

 しかし、開幕までわずかと迫ったブラジルW杯の存在がヤヌザイの何かを突き動かしたことは間違いないだろう。この直後に発表されたベルギー代表のW杯に向けた最終登録メンバーにヤヌザイは名を連ね、とんとん拍子でブラジル行きが決定した。

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