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Jリーグ 10年前

“雑草軍団”松本山雅、初のJ1へ。緻密な指揮官・反町康治、サッカー不毛の地で埋もれた才能を再生

text by 元川悦子 photo by Getty Images

選手・チームの成長が「スタートダッシュ」につながる

 反町体制発足前のJFL時代を経験している古株選手の戦術理解度が確実にアップし、キャプテンの飯田真輝や船山、塩沢らに安定感が出てきたのも大きかった。

「ソリさんと出会って運動量、守備力が上がり、前へ出ていく回数も増えた。それで余裕を持ってゴールに迫れるようになった」と船山も話したが、彼のように10代の頃、天才と言われた選手を鍛え直すのは難しい。それをやってのけたのが反町監督だ。

 思い起こせば、新潟時代にも山口素弘(現横浜FC監督)や寺川能人(現新潟スクールコーチ)、湘南でも坂本紘司(現営業本部長)らを再生させている。

「生かすも殺すも指導者次第というところは正直ある。我々は下から這い上がってきたチームで、貴之なんかは戦力的にも『こいつらを頼りにしないといけない』というのが第一にありましたからね。

 良さを見た上で、できることできないことをしっかり整理して、出来ることは伸ばす。出来ないことは少しずつでも考えさせる。そうしたアプローチで、試合を通じて徐々に逞しくなってきた」と大黒柱になった選手たちに目を細めた。

 こうした選手・チームの成長が、就任3年目に狙っていた「スタートダッシュ」につながり、序盤からポイントを重ね、夏場に落ちていくライバルチームを尻目に2位以内を確保し続けた。

 船山対策を敷かれた9月は5戦未勝利と、さすがの反町監督の勝てずに悩んだが、「俺たちのやることは変わらない」と積み重ねてきた守りを崩さず、セットプレーとカウンターからゴールを狙い続けた。こうした愚直なまでのアプローチが3試合残しての2位確保という形で結実した。

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