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2015年の君たちは――。東京ヴェルディユース、花の92年組を追って:第12回 一意専心と放浪と

「間違いなくあそこがサッカー人生のピークでした」

「メンバーに入れるようになったのは、2年目のJユースカップからです。ただ、僕は性格的に一歩引いちゃうほうで、メンタリティがスポーツ選手向きじゃない。同じポジションにひとつ下のリュウジ(杉本竜士・東京ヴェルディ)が台頭してきたら、勝てねえなと思ってしまう。

 あいつのほうが上だとサブで納得してしまう。なにくそという気持ちがどうしても起こらない。最終的に上に行くのは、自分が一番だと思い続け、そこにこだわった奴です。たとえばケンゾウ(南部健造・中京大4年)は、どうしてもスタメンで出たいという気持ちでいたから、最後はレギュラーの座を掴んだ」

 とはいえ、東京ヴェルディユースでの横内は、攻撃に変化をつけられる貴重な選手だったように思う。小柄な横内が巧みなステップワークで相手を翻弄するさまは痛快だった。

 高校卒業後はスポーツ推薦で青山学院大に進学した。

「新チーム結成の紅白戦で、めっちゃ目立ったんですよ。僕は、知らない選手のなかにぽんっと放り込まれてやるのは、むちゃくちゃ巧いんです。しがらみのない状態でプレーすると、自分の力を全開にできる。間違いなくあそこがサッカー人生のピークでした」

 当時、関東大学リーグ1部の青学大で、ルーキーイヤーからバリバリ試合に出た。92年組で唯一、関東選抜のセレクションにも参加した。プロへの淡い希望が「ほんの一瞬だけ」頭をかすめた。身体の異常が判明したのは、そんな矢先のことだった。

「入学した直後の健康診断で尿検査が引っかかり、しばらく放置していたんですけど、秋頃に大学から呼び出しがかかっちゃって。病院で診てもらったら、どうやら腎機能に先天的な問題があって、激しい運動は無理だと。

 それから3ヵ月くらいかな。大きな病院にふたつ行って、やはりサッカーは無理だと診断されました。検査の結果が出るまでの期間が一番きつかったっすね。サッカーがやれなくなるならそれでいいから、早くはっきりしてほしかった」

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