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日本代表 9年前

なでしこのキープレーヤー大儀見優季が語る、中学時代に2度の怪我を乗り越えて得たもの

text by 大儀見優季 photo by Getty Images

二度の大怪我から得たもの

なでしこのキープレーヤー大儀見優季が語る、中学時代に2度の怪我を乗り越えて得たもの
怪我から復帰するとすぐに代表に招集された大儀見【写真:Getty Images】

 復帰するとすぐに代表に招集され、それからは、喜びをかみしめる間もなく、「わずか16歳で代表」「女釜本」「女平山」などと注目を浴びて、苦労の日々が始まってしまったのだが……(笑)。

 二度の怪我、手術、リハビリ生活を振り返ると、少しもマイナスはなかったと断言できる。「怪我をしなければ……」そう思ったことは、一度もない。

 怪我をしたことで、できなくなった普段のトレーニングに代わり、筋トレを始めた。ベレーザの先輩たちが持ち上げているベンチプレスなども、中学2年生にして持ち上げられるようになっていた。リハビリ中に続けた筋トレのおかげで、体格がぐんと変化した。

 みんながボールを蹴っている間に、地味なトレーニングを続けるのはつらい。しかし、怪我を経験した選手のほうが、精神的にも強くなれる。壁を乗り越えることで、一つ成長することができるからではないだろうか。

 若いうちに、当たり前が当たり前でなくなる経験をしたからこそ、当たり前にサッカーができることが幸せであると知れた。同時に、周りの人の働きがあってこそ、自分がサッカーを続けられることを思い知った。

 怪我という壁を乗り越えて、私はそんなことを考える人間になった。自分の周りで、見えないところで、どんな人たちの力があってそれができているのか。常に周りを見回して、そういう人たちの存在を感じる。

 私の「当たり前」を手助けしてくれる人たちへの感謝を、決して忘れてはいけないと思っている。

【了】

プロフィール

大儀見優季(おおぎみ・ゆうき)
1987年7月15日生まれ。神奈川県出身。兄の影響を受け、林サッカークラブでサッカーを始める。2000年、日テレ・メニーナに入団。03年に日テレ・ベレーザに昇格し、翌年に日本代表Aマッチデビュー。11年には日本代表をFIFA女子ワールドカップ優勝に導く活躍をみせ、15年になった現在もなでしこジャパン不動のストライカーとして君臨する。

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