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意志あるところに道は開ける――。欧州挑戦を決めた武藤の思い。FC東京・立石GMが語る移籍の真実

text by 藤江直人 photo by Getty Images

急速な成長、愛される資質。長友と重なるイメージ

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痛快無比なサクセスストーリーを刻んだ長友佑都【写真:Getty Images】

 自分自身に対して確信がもてたからこそ、キャリアパスに「10ゴール」と書きこんだ。新人王からベストヤングプレーヤー賞と名称が変更されたタイトルの受賞資格がないことを知ると、すぐに「ベストイレブン」に変更してこれも成就させた。

 眩い輝きを放ちつつあった伸び盛りの22歳を日本代表監督が放っておくはずがない。「10ゴール」と「ベストイレブン」よりも先にアギーレジャパンで「日本代表入り」を果たし、今年3月に就任したヴァイッド・ハリルホジッチ監督のもとでも継続的に招集されている。

 自らを客観視することができて、成長するための課題を明確に設定することもできて、ひとつずつクリアしてきた武藤の軌跡を、立石氏は「長友佑都に似ている」と振り返る。

「人の話をすべて吸収しようとする姿勢もそうですし、変な言い方になるかもしれないけれども、人に可愛がってもらえる才能をもっているんですね。だから『武藤のために』というムードが生まれるし、武藤自身がそれをまた力に変えてきた。よく『もっている』と言われるけれども、その理由は運を手繰り寄せるための準備を怠りなく積んできているからに他ならないと思っています」

 明治大学サッカー部を3年で退部し、FC東京に加入した長友は当時の城福浩監督に見染められ、ルーキーイヤーだった2008年シーズンの開幕戦で先発。すぐに岡田武史監督率いる日本代表の常連となり、W杯南アフリカ大会後にイタリアへと旅立った。

 痛快無比なサクセスストーリーを刻んだ長友と同じく、武藤もリーグ戦の出場50試合で23ゴールという数字を残して、颯爽と駆け抜けていった。わずか1年半という在籍期間に対して、しかし、FC東京に対して「何で移籍させるのか」という抗議や批判はいっさい届かなかったと立石氏は言う。

「武藤がいなくなった後のプレッシャーは大変だけれども、彼を送り出すことに関してはポジティブなイメージを皆さんに抱いてもらえたし、その意味では応援してもらえると思っています」

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