デシャン監督は勝つ方法を知っている
―――フランスは2000年のEUROも制しましたね。
あのEUROも厳しかったですね、特に決勝は。でもがんばりましたね。あのときのフランスでおもしろいのは、今のバルセロナと同じワンタッチ、ツータッチが多いんですけど、バルセロナほど動いてないし、器用じゃなかった。でもボールをもらって、選手たちがフェイントをかけたり、ちょっと個人のアクションがあって、すごい魅力的だった。みんな自信満々で何をやってもうまくいく。特に左サイド。リザラズ、デュガリー、ジダンの左サイドは誰も止められなかった。右はピレスもいたりとか。
―――当時キャプテンだったのはディディエ・デシャンで。
デシャンですね。デシャンは……、そういう選手も必要ですよね(笑)。でもポジショニングはすごく良くて、若いときからメンタルも強くて、体力的にも強かった。
―――デシャンは選手としても成功しましたが、監督としても良いキャリアを送っていますね。
そうですね。モナコではすぐうまくいって。よくフランスで言われることなんですが、モナコの選手にハングリー精神を植え付けるのは難しい。すごく良いところだし、遊ぶところもいっぱいあるし、お金もあるし、夜遊びとかの誘惑もたくさんあるから。
でもデシャンはそこですごいチームを作った。ヴェンゲル時代以来の強いモナコ。それでみんなデシャンを評価したし、デシャンも自信をつけて、タフな場所を選びました。マルセイユですね。
マルセイユはフランスで一番難しいクラブと言われています。彼はマルセイユを90年代の黄金時代以来のフランス王者に導いた。偉業ですね。そこからアップダウンがあって難しい時期もありました。でもマルセイユでは仕方ないです。
マルセイユでは不透明な動きがあるし、ナポリみたいにマフィアがクラブに関与しているから、そこで妥協しなきゃいけない。マルセイユで監督をするっていうのは、すごく危険なんですね。選手の移籍に黒いエージェントが絡んでいて、そこを通さないと選手が来なかったり。多分デシャンはそこで妥協をしている。
デシャンがマルセイユの選手としてチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げたときのチームもすごく黒いですね。ドーピングだったり、八百長だったり。デシャンは複雑な人だと思うんですよ。みんな尊敬しているけど嫌いな人も多いと思う。それに真っ白ではないと思う。でも勝つ方法は知っている。