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リバプールからサッキのミランへ。4-4-2戦術の発展と、ゾーンディフェンス+プレッシング【西部の4-4-2戦術アナライズ】

シリーズ:西部の4-4-2戦術アナライズ text by 西部謙司 photo by Getty Images

リバプールの4-4-2を発展させたACミラン

ACミランでサッカー史に残るチームを作り上げたアリゴ・サッキ監督
ACミランでサッカー史に残るチームを作り上げたアリゴ・サッキ監督【写真:Getty Images】

 初優勝の立役者だったケビン・キーガンはハンブルガーSV(西ドイツ)に移籍し、他のポジションも世代交代が行われながらリバプールは一貫して強かった。キーガンの後釜としてエースナンバーの7番を継いだケニー・ダルグリッシュ、その次にはピーター・ベアズリー。キャラハンが抜ければグラーム・スーネス、CBもエムリン・ヒューズからアラン・ハンセンとしっかり穴埋めされている。ただ、戦術的な機能性が機械的だったので人材の影響を受けにくかった面はあるだろう。

 リバプールの4-4-2を継承、発展させたのは意外なことにイタリアのクラブだった。マンツーマンとリベロの王国だったイタリアのACミランは、戦術史をそれ以前と以後に隔てる分岐点になったチームといっていい。

 88-89、89-90シーズンとチャンピオンズカップを連覇したミランは、アリゴ・サッキ監督が画期的なプレッシング戦法を導入した。

 基本はリバプール式の中盤をフラットにした4-4-2。戦術マニアのサッキ監督は中盤をダイヤモンドに組んだり、片側だけウイングを置いた形なども使っていたが、ベースはリバプール方式である。リバプールから発展させたのはプレーの強度だ。

 マウロ・タソッティ、アレッサンドロ・コスタクルタ、フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニの4バックがディフェンスラインを高く保ち、全体を30メートル前後のコンパクトな陣形に維持している。このコンパクトさが従来にはない新しさだった。そのために、ラインの上げ下げを細かく行っている。

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