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柴崎岳、リーガ1部ヘタフェ適応のカギ。定位置確保へ、期待抱かせたスタートの1週間【現地記者の目】

text by ホセ・アントニオ・デ・ラ・ロサ photo by Getty Images

メディアのプレッシャーは少なく、非常に家族的な雰囲気

ヘタフェのアンヘル・トーレス会長(写真は2007年時)
ヘタフェのアンヘル・トーレス会長(写真は2007年時)【写真:Getty Images】

 ヘタフェに対し、メディアからのプレッシャーはほぼ皆無に近い。非常に家族的なクラブであり、トップリーグのクラブとしてはスタッフ数も少ない。ここで過ごした選手たちの誰もが、落ち着いて仕事ができる環境であることを強調している。

 その一例として、ヘタフェの選手たちは毎朝スタジアムから練習場まで200メートルの距離を歩いて通っている。人々に紛れて通りを歩いて行く姿は、プリメーラのほとんどのクラブではあり得ないものだ。レアルやアトレティコは言うまでもない。

 アンヘル・トーレスがやって来るまでは、クラブは経済的に困窮していた。今から16年前、当時のヘタフェ市長であったペドロ・カストロは親しい友人であるトーレスに対し、クラブ消滅を回避するため会長を務めてくれるよう依頼した。

 叩き上げの建築事業家であり、レアル・マドリーのソシオでもあり、すでにヘタフェの役員も務めていたトーレスは、これに応じて自身の会社でヘタフェを全面買収した。

 現在では慎ましくも安定したクラブであり、経済的な問題は抱えていない。会長就任から3年間でヘタフェをセミプロからプリメーラ昇格にまで導いたのは全くの予想外であり、奇跡的とも言うべき結果だった。

 ヘタフェは12シーズン連続でプリメーラに残り、その後降格を味わったが1年で再びトップリーグに返り咲いた。その初期には近隣のクラブや、友好関係にあるバレンシアから若いタレントを獲得。彼らの多くはレンタルで加入し、コリセウム(ヘタフェのホームスタジアム)で選手として開花することができた(アルビオル、デ・ラ・レー、パレホ、ガビなど……)。

 その後は特定の選手に依存しないで済むよう、経験豊富な選手たちを獲得してきた。ヘタフェ・クラブ・デ・フットボルという現在の名称ではまだ誕生から34年しか経っていないクラブだが、今では「ヘタ」は自分たちよりもはるかに格式あるクラブと付き合うことができている。昇格を果たした後の目標は残留でしかあり得ないが、近年の経験を通して、ヘタフェは降格候補の筆頭に挙げられるようなクラブではなくなっている。

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