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Jリーグ 6年前

社会現象化した横浜F消滅。「合併劇」を追ったフリーライターの記憶【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

「自分がフリューゲルスに関わるとは夢にも思わなかった」

 サポーターに関しては、のべで言うと100人くらいに話を聞きましたかね。それこそフリューゲルスだけでなく、マリノスや他のチームのサポーターからも。

 サポーター以外にも、フリューゲルスの運営会社である全日空スポーツの方からもオフレコ話を聞いたし、会見を通してマリノスのフロントや日本サッカー協会の言い分も聞いています。

 いろんな立場の方から話を聞けたのは、私が「合併反対!」とこぶしを振り上げて叫び続けるようなジャ―ナリストではなかったからだと思います。

 あくまでもニュートラルに、感情的にならずに、粛々とこの「合併劇」を追いかけたこと。そして関わった人をわけ隔てることなく、ひたすら淡々と話に耳を傾ける取材者に徹していたからだと思っています。

 出身は東京です。小学1年の途中から、父の仕事の都合で金沢に住んでいました。ただ(東京の)荻窪に家が残っていたので、大学はそこから通いました。大学の専攻がドイツ文学だったこともあって、ベルリンの壁が崩れた翌年(1990年)にドイツをひとり旅していたんです。

 ケルンに行った時、たまたま(大学の)同級生が同じユースホステルに泊まっていて、「サッカーの試合があるから一緒に行かない?」って誘われて、それが私のサッカー観戦デビュー。スタジアム初観戦がブンデスリーガで、たぶんケルンのホームゲームだったと思うんですが、対戦相手がどこだったのかさえわからない(笑)。ボーっと観ていただけでした。

 卒業後、最初に就職したのは人材派遣の会社で3年。その後、舞台製作の会社で1年半務めました。いずれも、ものすごく忙しかったですね。3ヶ月くらい東南アジアでふらふら遊んで、それから職探しをしたんです。

 幸いなことに私、留学していた時に初期のマッキントッシュを使っていたんですね。「マックが使えます!」って言うと、再就職にあまり困らなかったんです。それで一発採用されたのが、パソコン専門の出版社で95年の10月ぐらい。

 まさにウィンドウズ95ブームの前夜で、そこも取材と編集の仕事で怒涛の忙しさでした。ただ、ライターとしてのノウハウをそこで学べたのは大きかったです。

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